【山口和幸の茶輪記】人生初の日帰り手術…激痛は1日とはいかず | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】人生初の日帰り手術…激痛は1日とはいかず

オピニオン コラム
手術直後にリオ五輪のサッカー中継を見る
  • 手術直後にリオ五輪のサッカー中継を見る
  • 手術直後は麻酔が効いているので余裕だった
  • 裏山に登れたのは術後11日目。いつもの景色が違って見えた
健康オタクのボクではあるが、運動機能の修復のために日帰り手術を受けてきた。朝に自分の足で病院に行き、術後に退院目標をクリアしたら帰宅できる。手術そのものは流れ作業のように順調でなんの不安もなかったが、正直に告白するとその後の痛みに大泣き。

リオデジャネイロ五輪の国際映像に取材仲間のカメラマンがときおり映る。第一線で働いている彼らをとてもうらやましく感じる日々。そのときボクはなにをしていたかと言えば、五輪開幕と同時に日帰り手術を受けた。4年後の東京五輪で頑張るために、身体の不具合を直しておきたいからである。もちろん深刻な病気ではないのでコラムのテーマとすることに違和感はなく、今後に同様の手術を受ける人への参考になればという思いもあって身体を張った体験記。

■手術は五輪開会式の日に

8月5日、朝8時半にかかりつけの総合病院へ。すぐにロッカールームで手術着に着替え、T字帯というふんどしのようなガーゼの下着を着けてカーテンで仕切られたベッドルームへ。ここで点滴を腕に留置する処置をしてもらい、その点滴をつるしたスタンドをゴロゴロ転がしながら歩いて手術室に入るわけだ。「手術中にトイレに行きたくなったらどうするのかな?」というのが唯一の心配だったが、部分麻酔といわれる腰椎麻酔により尿意は感じなくなるそうだ。

手術そのものは熟練の担当医やスタッフにお任せするだけ。手術台の上でボクのレーパン焼けを見て、「スポーツ、なにしてるんですか?」と質問するのはやめてほしかったが、「眠れるようにお薬入れますからね」という担当医の言葉を最後に眠ってしまい、「山口さん、もうすぐ終わりますから」と話しかけられるまであっという間の出来事。笑気ガスの吸入のためか分からないが、とてもゆったりした気分で「へー、簡単だな」と思ったくらいだ。手術は1時間半で、午前11時前にはつつがなく終了。


手術直後は麻酔が効いているので余裕だった

手術後はベッドに移され、もといたカーテンで仕切られたエリアに。通常の手術なら集中治療室で経過を逐一チェックされるのだが、このあたりが日帰り手術の特徴だ。すでに意識ははっきりとあったが、麻酔によって痛みはまったく感じられず、付き添いの家族に記念写真を取ってもらったり、テレビで五輪のサッカーを観たり。1時間ほどで徐々に麻酔が切れてくるので、胃腸の動きを確認してもらい正午に食事が出てきた。

■手術後にやってきた激痛

食べるために電動ベッドを起動させて上半身をわずかに起こしていくのだが、このときから次第に強い痛みを覚える。なんとか食べ終わるとここで初めて鎮痛剤を服用。3時間ほどすると自力で立ってトイレにも行けるようになり、自然に排尿できれば退院の許可が出る。ところが激痛でそれどころではない。

手術を受けると決めたとき、担当医や日帰り手術のケアマネージャーから「痛いですよ」と軽く言われて信じてなかったけど、麻酔が切れてからはその言葉どおりだった。「日帰り手術といってもたいていの人は、痛さに我慢ができなくて1泊して帰りますよ」と言われた。ボクは若くもないのだが、とりわけ若い人は痛みが強いらしい。最初のトイレは排尿できず、さらに点滴を追加された。1時間ほど横になり、2度目のトイレで排尿を済ませ、それを報告するとケアマネージャー、そして外科医師がチェックのためにやって来た。

午後5時過ぎに退院許可が下りると、「それではロッカールームで着替えてください」とうながされる。「そんな簡単に言われても、健康診断じゃないんだから」とグチをこぼしたくなったが、反論する余裕もなくて激痛に顔をゆがめながらもパンツをはく。さすがに靴下とシューズは自力ではくのをあきらめて家族に手伝ってもらう。そしていつもの外来と変わらず自分で会計をして帰宅。


裏山に登れたのは術後11日目。いつもの景色が違って見えた

日帰り手術は3日くらいで自転車に乗れると思ってたのに、やはり身体のダメージは大きく、ようやく散歩できるようになったのは3日後。痛みは2週間ほど続き、仕事もままならない。でも終わったらこっちのもので多少の痛みもいい思い出だ。不具合を修復したことで、これからも元気な生活が送れるようになったのだから。
《山口和幸》

編集部おすすめの記事

page top