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【THE REAL】ロアッソ熊本・巻誠一郎は走り続ける…大地震を乗り越え、被災地に笑顔を届けるために

オピニオン コラム
巻誠一郎 参考画像(2014年2月21日)
  • 巻誠一郎 参考画像(2014年2月21日)
■熊本のために

車中泊を含めて避難生活を強いられた巻自身、誰よりも早く復興へ向けて動き出していた。例えば津波注意報が発令された深夜には、避難する乗用車の列を自ら路上に立って安全な場所に誘導した。

復興支援のための募金サイト『YOUR ACTION KUMAMOTO』をすぐに立ち上げ、救援物資をまず福岡県内に集約させたうえで、まとめて熊本県内へ送るシステムも確立させた。

県内を車で回り、避難所ごとに不足している救援物資を届け、時間を見つけては子どもたちとサッカーボールを追いかけた。輝きを取り戻した子どもたちの笑顔が、被災地の希望になった。


全体練習が再開された後は、基本的に午前中にジェフ戦へ向けて汗を流し、午後はチームメイトたちと避難所を回り続けた。ジェフ戦前日も然り。足を運んだ避難所の数は50ヶ所を超えた。

支援の声を訴えてきたFacebookの公式ページに、ジェフ戦前日に思いの丈をつづった。一部を抜粋する。

 地震の直後は、サッカーのことは考えられませんでした。
 でも地震の後、僕たちを支えてくれたのもサッカーでした。
 全国のサッカーファミリーから沢山の物資やメッセージをもらいました!
 サッカーを通して子供たちがえがおになりました!
 サッカーの話で避難所のみんなと繋がることができました!
 本当にサッカーをやってて良かったと心から思いました。
 今度は僕らがサッカーを通して、熊本のみんなに勇気や希望を与える番です!
 今度は全国のみなさんにサッカーを通じて、熊本は地震なんかに負けないって、
 前に進んでいるんだってメッセージを届ける番です!

 (原文ママ)

終了直後のテレビインタビューでは涙した巻だったが、試合後の取材エリアでは努めて胸を張り続けた。両方の目は真っ赤に腫れている。ちょっとでも下を向けば、こらえているものがこぼれ落ちたからだろう。

■復興へ向けて

復興への第一歩を踏み出した日に、涙はふさわしくない。これから先、さらに厳しい現実が待っているからこそ前を向く。鼻血を流しながら、それでも気丈に話し続ける巻の姿には胸を打たれるものがあった。

「正直、勝ち点3を、勝ち点1でも熊本の皆さんに届けたかったですし、1ゴールでも、1本でも多くのシュートを打ちたかったという思いはあります。いまも無力感や悔しさ、いろいろな思いがありますけど、全員が最後までゴールを目指して足を動かしたし、勝利を目指して戦い抜いたし、どんなに足がつっても、どんなに苦しくても最後まで前へ進み続けた。その意味では胸を張って一度熊本へ帰って、もう一度いい準備をして、次の試合に挑みたい」

支援物資の集約拠点となっている、ホームのうまかな・よかなスタジアムで試合を再開できるめどは立っていない。ホームで行われる予定だった22日の水戸ホーリーホック戦は、J1の柏レイソルの協力のもと、日立柏サッカー場を代替地として開催される。

延期となった5試合はやがて、梅雨の時期以降の過密日程となってロアッソに試練を与える。それでも、被災地の人たちの苦しみに比べれば些細なこと。自分たちが頑張る姿が希望となるのならば――そう考えるだけで、新たなエネルギーがわきあがってくる。ジェフ戦後も巻の復興支援活動は続いている。

2006年のワールドカップ・ドイツ大会。本命視されたFW久保竜彦(当時横浜F・マリノス)ではなく、当時25歳の巻をサプライズ招集したジーコ監督は、その理由をこう語っていた。

「彼は人のために走れる男だ」

自己犠牲の精神、献身的な姿勢が日本代表にとってプラスとなると神様は説いた。あれから10年。8月には36歳になる巻の内面に脈打つ熱き想いは、いまも変わらない。その大きな背中が、魂を感じさせる一挙手一投足がロアッソをけん引し、熊本復興への象徴となる。

《藤江直人》

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