アスリートが「感謝ライン」を下げるということ。 ボート 中野紘志(アスリートブログ) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

アスリートが「感謝ライン」を下げるということ。 ボート 中野紘志(アスリートブログ)

オピニオン コラム
中野紘志
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  • ボート 中野紘志 参考画像(2015年7月10日)
  • ボート 中野紘志 参考画像(2013年6月21日)
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  • 中野紘志(2016年1月8日)
  • 中野紘志(2016年1月8日)
私は無職だ。去年10月に会社を辞めた。

2016年のリオデジャネイロ五輪やその選考レースに向けて、ちゃんとやりたい、飛び込みたい、命懸けっていうのに少しでも近づいてみたい、そんな気持ちが大半で、辞めた。

リオデジャネイロ五輪に出るには2015年12月の日本代表選考で2位以内に入ること。2016年4月の五輪出場権をかけたアジア大陸予選で3位以内に入ることだ。

もちろん私自身、無職で選考レースに出たこと、出る準備をしたことはない。まじで寂しい。学生の時や社会人の時は、一緒に練習してくれる人がいたし、話す人がいた。漕いでる時のビデオを撮ってくれる人もいたし、ご飯を一緒に食べる人もいた。

会社を辞めたら、給料日がなくなるだけかと思ったら、人との関わりもなくなった。しゃべることがない。もちろん今までお世話になった人と連絡すれば連絡が取れるが、何気ない距離に人がいない。会いに行かなければ会うことがないという寂しさってのは、中々に素晴らしいものだと思った。

自分の挑戦する選考種目はひとり乗りだった。だからチームがなくても直接的には問題はない。ひとりで勝手に漕いで、勝手に休んで、勝手に強くなれればそれでいい。ただ、寂しかった。



よくテレビでスポーツ選手が「感謝の気持ちを忘れない」と言う。無職になって思うことがある。「感謝」とは何か。それは「人がいる」ことだと思う。

見てくれる人がいる、話す人がいる、一緒に食べる人がいる、みんなが集まる場所がある、そうした当たり前のこと、それが有難いことなのかもしれない。普通の人は無職にならないから、みんな有難がってたらみんな無職なのかってなるから、ちょっと違うけど、感謝の最果ての近くは、そういうところなんじゃないかと思う。

無職でも知らず知らず、呼吸してることとか、知らず知らず動いてる心臓とか、そういう「自分がいま生きている感謝」も含めれば、感謝っていうのは「スポーツができる幸せに感謝」とかじゃなくて、「周りに人がいる感謝、自分が人である感謝」そういう意味なのかもしれないと思った。

選手は上に上に行きたがるから、どうしても、当たり前のライン、基準線が高くなる。ここまで行けたら嬉しいけど、今まで行けた所に行けなかったら嬉しくない。基準線がどんどん高化していく。それが競技だ。もっといい環境、もっといい練習、もっといい生活、もっといい結果、それを求めるのはむしろ必要と言っていい。

「感謝する」というのはその逆だと思う。どんどんその基準線が低下していく。今まだ生きているとか、日本に生まれたこととか、健康だとか、誰かが作った歩きやすいアスファルトの道路を歩くことができるとか。

選手である限り、当たり前ラインの上限は上がっていく。もっともっと、という向上心が、自分をさらに高めていくものだと思う。



だが、感謝ラインといっていいのだろうか。あんまりカッコ良くない響きだが、そのラインも存在する。その線をどれだけ下げていくか。え、そこにも感謝するの?ってラインをどれだけ下げていくか。

上限を上げ、下限をどんどん下げること。その両立。

下限を下げることは、これから100m10秒切ろうとしている一生懸命な選手に、「そもそも走れるって素晴らしいんだから、いいじゃない」と水を差すのとは違う。感謝と現状満足は違う。

上限を上げることは、勝たなきゃ意味がないと、自分を縛り付けることではない。それは不幸だ。勝ってもまた勝たなければいけない、一瞬の快楽のスパンがどんどん長くなっていく。

上限が低ければ、選手として寂しい気もするし、下限が高ければ、人として寂しい気もする。

もっともっとと向上する気持ちと、もっともっとと深化していく感謝の気持ちを持てれば、どんな結果でも、それなりに選手は幸せになれるんじゃないか。

「競技をして、よかったですか」ランキングは、世界ランキングといった世界一からの自分の順位や実力までの距離から決まるものではなく、自身の感謝ラインから順位や実力までの距離なのかもしれない。

(世界一)ー(当たり前ライン)=(ゼロに近ければ近いほど幸せ)、ではなく、(当たり前ライン)ー(感謝ライン)=(多いほど幸せ)、なのかなと思った。
《中野紘志》

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