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【THE REAL】柏レイソルの新たなレジェンドへ…工藤壮人が背番号9とともに歩む未踏のフィールド

オピニオン コラム
工藤壮人 参考画像(c)Getty Images
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小学校4年生のときから、レイソルの育成組織一筋で育ってきた工藤は、気がついたときには北嶋さんの大きくて、まぶしい背中を追いかけてきた。

トップチームに昇格してからは、レジェンドへの憧憬の思いをよりいっそう強くした。北嶋さんへの熱い思いを、こんな形で聞いたことがある。

「プレーそのものもそうですけれども、キタジ(北嶋)さんからはメンタル的な強さをすごく学びました。どのようにしてチームに貢献すればいいのか。スタメンであろうがベンチスタートであろうが、どんな状況でも常に前向きにとらえていく姿勢は特に。一緒にご飯を食べたりしながら、本当にいろいろなことを語り合ってきました」


■「まあ、そんなところですよ」

北嶋さんがレイソルでマークした52ゴールは、決して多くはない数字といっていい。それでも、いまも愛してやまれない存在として語り継がれている理由は、ピッチの外にもある。

市立船橋高校から1997年にレイソルへ加入した北嶋さんは、1999年から「9」番を背負ってエースストライカーとして活躍。レイソルにとって初タイトルとなる、同年のナビスコカップ制覇に貢献した。

当時のチーム方針への不満などもあって、2003年に清水エスパルスへ移籍。3シーズンにわたってプレーしたが、レイソルがJ2降格を喫した2005年のオフに志願する形で電撃復帰を果たしている。

「古巣の窮地を救いたい、という気持ちがあったのでしょうか」

こんな問いに対して、北嶋さんがさわやかな笑顔とともに返してきた言葉を思い出す。

「まあ、そんなところですよ」

副キャプテンを務めた北嶋さんが精神的な支柱となったレイソルは1年でJ1へ復帰したが、2010年には再びJ2での戦いを余儀なくされる。2度目のピンチでも北嶋さんはレイソルに残留し、1年でのJ1復帰、そして2011年に勝ち取ったJ1初制覇へとチームをけん引する。

この年に25試合で7ゴールをあげて頭角を現した工藤は、翌2012年には33試合でチームトップとなる13ゴールと大ブレークを果たす。

入れ替わるように出場機会が激減した北嶋さんは、「まだ燃え尽きることのできない自分がいる」ことに気がつき、一度はオファーを断ったロアッソへの移籍を決意した。

【次ページ 必ず訪れる世代交代】

《藤江直人》

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