冬季五輪のレジェンドと言えばエリック・ハイデンだろう。1980年のレークプラシッド五輪において、男子スピードスケートの5種目すべてで金メダルを獲得した米国選手だ。短距離の500mから長距離の1万mまで圧倒的なパワーでトップフィニッシュしたのだから、パーフェクトなパフォーマンスだった。
選手を引退した後は大学医学部を優秀な成績で卒業し、現在はドクターだという。そんなたぐいまれなる才能の持ち主だが、もっと驚くべき事実がある。1986年、世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスに出場したのである。
◆スピードスケートと自転車競技の親和性
自転車競技の短距離種目はスピードスケートと使用する筋肉が似ているという。そのためスケート選手が自転車競技に転向して強豪選手になった例は多い。たとえば冬季五輪はスピードスケートで、夏季五輪は自転車競技で出場を果たした日本選手と言えば橋本聖子、関ナツエ、大菅小百合。ソチ五輪に出場した田畑真紀は夏季五輪こそ参加していないが、自転車の全日本選手権で優勝した第一人者だ。
男子では長野五輪ショートトラックの金メダリスト西谷岳文、そして清水宏保とともに活躍した武田豊樹は競輪選手として活躍している。清水や武田の同期で、スピードスケートから自転車競技に転向し、女子ロードレースで全日本11連覇した沖美穂は、「橋本聖子さんたちの練習を見ているから、それだけで私は自転車界では負けない。転んでも追いついて勝てる自信がある」と語っていて、それはあながちハッタリではないなと感じたことがある。それだけ日本のスピードスケート選手は世界と互角に戦い続けているということでもある。
ただしエリック・ハイデンの場合は短距離レースではなく、23日間走り続けるツール・ド・フランスに出場したというのだから、それは空前絶後だ。
◆エリック・ハイデンとツール・ド・フランス
きっかけはレークプラシッド五輪の女子3000mで銅メダルを獲得した妹のベスが兄に先んじて自転車選手に転向。1980年の世界選手権ロードで優勝したことだという。
エリックもレークプラシッドの翌年に自転車競技に転向。プロ自転車選手としても全米チャンピオンになった。そして1986年、米国チームとしてツール・ド・フランス初参加を果たしたセブンイレブンチームのレギュラーに昇格。このハイデンの参戦はちょうどその年、ツール・ド・フランスを初取材したNHKの特集番組でも報じられた。
ただし結果は途中リタイア。平たん路の走力は人並み外れたポテンシャルを見せつけたが、アルプスの山岳区間は大柄で筋肉量のあるハイデンには厳しすぎたようだ。レークプラシッドではサイボーグだったが、完走できずに涙を流しながら収容者に乗り込むエリックにようやく人間らしさをかいま見る気がした。
《山口和幸》
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