日本代表を率いて3年目に入ったバヒド・ハリルホジッチ監督は、最近になってある日本語を覚えた。意味も理解したうえで、流ちょうな発音でよく口にしている。
「ムズカシイ」
日本国内のシーズンが幕を開けると同時に、日本代表チームのテクニカルミーティングも定期的に開催されるようになる。原則として毎週月曜日に、コーチングスタッフは一堂に会している。
東京・文京区のJFAハウス内にある日本代表監督の専用ルーム。ハリルホジッチ監督の強い要望を受けて就任直後に設けられたスペースで、各々が週末に視察してきた試合の詳細を報告し合う。
「スタッフが毎週スタジアムに乗り込んでJリーグを、テレビではヨーロッパの試合をチェックしている。私も毎日毎日、何時間もかけて映像を分析している。守備および攻撃で日本代表において求められるプレーを、代表候補選手ができているかどうかを考慮しながらそれぞれがジャッジする。
ミーティングではスタッフ一人ひとりに意見を求める。しかし、常にムズカシイ答えが返ってくる。最終的には私が判断するが、後になって『バヒドの判断が悪かった』と批判されることもある。理想的な形はそう簡単には手に入らないので、いろいろなバランスを考えながらいつも判断している」
UAE(アラブ首長国連邦)代表と敵地アル・アインで、タイ代表と埼玉スタジアムで対峙する今回のワールドカップ・アジア最終予選へ臨むメンバー選考は、これまでよりはるかに「ムズカシカッタ」はずだ。
「Jリーグを見たところ、トップフォームになるのはこれからだな、という印象をもった。ヨーロッパに目を向けると、試合に出ていない選手が少なくない。なかには数ヶ月もプレーしていない選手もいる」
コンディションが十分でない選手の象徴が守護神・西川周作(浦和レッズ)であり、ヨーロッパで試合に出ていない選手がDF長友佑都(インテル・ミラノ)とFW本田圭佑(ACミラン)となる。
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UAE戦で先発出場した長友佑都
(c) Getty Images
■5段階で色分けされて評価される代表候補選手
ハリルホジッチ監督の手元には国内外を問わず、常に50人を超える代表候補選手のリストがある。全員のパフォーマンスを週末の試合でチェックし、月曜日のミーティングで評価を更新していく。
「我々は5段階で色分けして選手を評価している。ブルー、グリーン、イエロー、オレンジ、レッドだ。サムライブルーということで、ブルーが一番高い評価となる。全員がそろって、毎回いい評価を与えられるわけではない。評価をあげていくためにも、選手たちとは常にコンタクトを取っている。
なぜならば、代表合宿が始まってからの2、3日だけでは試合への準備ができないからだ。しっかりと負荷をかけて行えるトレーニングが、(いまのスケジュールでは)それぞれの試合前で一度しかできない。集まればすぐにプレーできると思っている方が多いとしたら、私は失望する」
評価の基準は戦術、テクニック、フィジカル、メンタルの4つ。具体名な名前は明かさなかったが、インタビュー取材を行った3月上旬の段階で、「ブルー」を与えられた選手は一人だけだったという。
おそらくは所属するアイントラハト・フランクフルトで主軸を務め、ブンデスリーガにおける通算出場試合数を「235」に更新。奥寺康彦氏がもっていた日本人最多記録を更新した長谷部誠となるだろう。
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無念の離脱となった長谷部誠
(c) Getty Images
試合に必要な体力が失われている本田や長友は、それらをメンタルが補う形で「イエロー」にとどまっていただろうか。川島も然り。25人へ絞り込んでいく作業でも、指揮官は「ムズカシイ」と口にしている。
迎えた3月16日。発表された日本代表メンバーには本田と長友、同じく出場機会のないFW宇佐美貴史(アウグスブルク)、リザーブリーグでプレーするGK川島永嗣(FCメス)が名前を連ねていた。
そして、メディアが最も大きくどよめいたのは、約2年ぶりに復帰した今野泰幸(ガンバ大阪)に対してだった。もっとも、壇上に立つ指揮官は「決して驚きではない」と強調している。
■今野泰幸を約2年ぶりに復帰させた理由
昨年9月に勝利した日本代表との再戦へ向けて、UAEは2次予選から戦ってきたアブダビのシェイク・ザイード・スタジアムを、内陸部アル・アインのハッザーア・ビン・ザイード・スタジアムに変更した。
収容人員は約2万6000人と小さいが、ピッチとスタンドが近いために威圧感がはるかに大きい。司令塔オマル・アブドゥルラフマンら数人の主力が所属する、アル・アインFCの本拠地でもある。
「素晴らしい雰囲気であると同時に、我々にプレッシャーを感じさせる雰囲気でもある。その意味で、今回の戦いは経験値の高さが必要になる。フィジカルの戦いを挑める選手も必要になる。レベルの非常に高い選手が中盤にいることを考えれば、デュエルで勝てる選手も必要になる。
若い選手たちにもチャンスを与えてきたが、実際にピッチに立つと相手に敬意を払いすぎてしまう。名前は出せないが、優しすぎる選手もいる。ピッチ外ではそれでもいいが、ピッチ内ではサムライを期待している。守備でも攻撃でも、自分に自信をもって戦える勇敢な選手を必要としている」
求める条件のすべてをハイレベルで満たしていたのが、今シーズンの今野となる。ガンバではアンカーの遠藤保仁の前方で、インサイドハーフとしてプレー。攻守両面で出色のパフォーマンスを見せていた。
指揮官はガンバの試合をすでに3度視察している。34歳という年齢にとらわれることなく大枠のリストに加え、おそらくは「グリーン」の評価を与え、25人へ絞り込んでいく作業でも名前を残していった。
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約2年半ぶりのゴールを決めた今野泰幸
(c) Getty Images
UAE入り後に非常事態が発生した。左すねを負傷していた長谷部が、右ひざにも痛みを訴えて戦線離脱。精神的支柱でもある不動のキャプテンの代わりに、UAE戦で先発として起用されたのは今野だった。
しかも、山口蛍(セレッソ大阪)をアンカーに置き、前方で香川真司(ボルシア・ドルトムント)とインサイドハーフを結成。ガンバと同じ状況で生き生きと動き回り、約2年半ぶりとなるゴールも決めた。
■日本代表に注がれるアイデアとエネルギー
元日の天皇杯決勝を視察してから、自宅のあるフランスへ帰国した。もっとも、充電に費やした日々はわずかで、ヨーロッパでプレーする代表候補選手のもとへ足を運んでは会談を重ねた。
「試合に出ていない選手に対して、ピッチに立つ可能性が低いのであれば、クラブを変えたほうがいいのではないか、というアドバイスはしてきた。試合の代わりになるトレーニングは存在しないが、それでも私は檄を飛ばしてきた。ワールドカップに行くための大事なゲームが待っているぞ、と」
冬の移籍市場で本田と長友は残留した。清武弘嗣は不退転の決意で、リーガ・エスパニョーラの強豪セビージャから古巣セレッソに復帰した。川島はリザーブリーグでしっかりプレーしている姿を確認できた。
その川島をUAE戦で先発させた。昨年6月のブルガリア代表との国際親善試合以来となる代表戦。ブランクを承知のうえで、濃密な経験を還元してほしいと指揮官は背中を押した。
FW久保裕也(ヘント)の鮮やかな先制弾から6分後の前半20分。FWマブフートと1対1になった絶体絶命のピンチで、川島は冷静沈着に相手の動きを見極め、右足でシュートを弾き返した。
システム変更と今野の起用でUAEの長所を消し、川島と長友の存在が最後尾から安心感を伝播させた。敵地で手にした2‐0の快勝は、指揮官の入念な準備と型にとらわれない柔軟な采配を抜きには語れない。
「いま現在の日本のサッカーには満足していない。あらゆる面でまだまだ成長できる余地があるからだ。こう言うと『バヒドがまた批判している』と思われるかもしれないが、さまざまな部分を改善して、進化させたいと願うからこそ、私はすべてのアイデアとエネルギーを日本代表に注いでいる」
真の意味での成長は、ロシアの地でワールドカップを戦ってからでないと得られない。グループBの2位をキープしたハリルジャパンは、チャーター便で24日に帰国。すぐに28日のタイ戦へ始動している。