ここで物語の舞台をアクロン・ジェネラル・メディカル・センターに戻そう。この病院ではレブロンのほかにも、後にNBA入りするバスケットボールプレイヤーが産声をあげている。レブロンから遅れること4年後の1988年3月14日に生まれた男児は、NBAの名シューターとして名を馳せたデル・カリーを父に持ち、ステフィンと名付けられる。
彼は父親譲りの才能に人一倍の努力で磨きをかけ、デビッドソン大学から2009年のドラフトで全体7位指名を受けウォリアーズに入団した。
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レブロン(左)とステフィン・カリー
3ポイントシューターとしてのカリーは異質な存在だ。従来のシューターはボールを受け取る側だった。いかにフリーでパスをもらい、ここぞという場面で決めるか。基本的には味方のアシストによって見せ場を作る。ところがカリーのポジションはパスの供給源であるポイントガード。自らボールを運び、ゲームを組み立て、プレーを瞬時に選択する。相手が思いもよらないタイミングで何気ない動作から超ロングシュートを放ち、見ている者をアッと言わせる。
加えて父親のアドバイスでアマチュア時代に矯正したというフォームは、ボールのキャッチからリリースまでが速く、捕ったと思ったときにはシュートが放たれている。
3ポイントシューターとして才能を開花させたカリーは、2014-15シーズンにウォリアーズの快進撃を支えた。クレイ・トンプソンとのスプラッシュブラザーズは、バスケットボールファンなら知らない者はいない存在になっていく。
そして2015年のNBAファイナル、同じ病院でそれほど離れてない時期に生まれたふたりの男は、この年の頂点をかけ争った。この運命的な偶然をカリーは楽しんでいた。
「面白いよね。僕らはたまに、『今でもあの病院では才能ある子どもが生まれてるんじゃないか』なんて冗談を言ってるんだ」
■1勝3敗からの大反撃で最終戦に持ち込む
前年のファイナルで敗れたレブロンとキャバリアーズは、悲願の優勝に向け2015-16シーズンに臨んだ。プレイオフでも順調に白星を積み重ね2年連続のファイナルに進出。ファイナルの対戦相手は2年連続でウォリアーズだった。レギュラーシーズンでは2度戦って2敗したが、シーズンとプレイオフを通じて成熟が進んだ今のチームなら勝てるという自信があった。
だが第1戦、第2戦を大差で落とし雲行きが怪しくなる。第3戦は勝利したが、第4戦を本拠地で落として1勝3敗。NBAの歴史で1勝3敗から逆転でファイナルを制したチームは存在しない。
さらにケビン・ラブが第2戦で脳震とうを起こし、第4戦で復帰したが精彩を欠いていた。またも高い壁に跳ね返されるのかと思われた第5戦、ここまで大人しかったレブロンが41得点の爆発、アービングも41得点を挙げ敵地で勝利。クリーブランドに戻った第6戦も勝って3勝3敗のタイに戻した。
LeBron is on another level on #NBAonABC. #NBAVine #NBAFinals https://t.co/dA21SQYHZa
— NBA (@NBA) 2016年6月17日
この間にはアンドリュー・ボーガットの骨打撲、ドレイモンド・グリーンの1試合出場停止、アンドレ・イグダーラが背中の不調を訴えるなどウォリアーズ側にアクシデントもあった。しかし、それを差し引いてもキャバリアーズが見せたスモールラインナップへの対応、自分たちのバスケットボールをやりきる精神的な吹っ切れ具合が呼び込んだ勝利と言えるだろう。
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