会社を辞めた、分相応になった。ボート 中野紘志(アスリートブログ) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

会社を辞めた、分相応になった。ボート 中野紘志(アスリートブログ)

オピニオン コラム

中野紘志
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  • ボート 中野紘志 参考画像(2015年7月10日)
  • 練習でマメのできている中野紘志の手(2016年1月8日)
  • 中野紘志(2016年1月8日)
  • 中野紘志(2016年1月8日)
「あなたは誰ですか?」と聞かれれば、私は「中野紘志です」と答える。でも「中野紘志って誰ですか?」と聞かれると、誰だかわかんないな、と思い、会社を辞めた。

会社員として、実業団選手として、ボートを漕ぐことを「勤務扱い」として認めてくれる素晴らしい企業に恵まれた。昨年の秋まで4年半、給料を頂きながらボートという競技に携わってきた。

日本代表になり、日本代表として、世界大会に出た。負けて、帰ってくるという往復運動を4年ぐらい過ごして、毎回思うこと、「俺って誰なんだろうか」。

帰りの飛行機では、必ず税関申告書というのを書く。関税がかかる持ち込み品がないか、持ち込んではいけない物を持ち込んでないかを記入する黄色い紙だ。氏名、住所を書き、職業欄に「会社員」と書く。

「そりゃ会社員じゃ負けるわな」

毎回思った。職業欄に「ボート選手」と書けない理由は、それで稼いでないからだ。「勤務扱い」になり得ても、「勤務」にはなり得ない。「勤務」だったら、「勤務扱い」とは言わない。



そんな状態だから「会社員」であって、しかも代表合宿でその会社にも行かない、訳のわからない存在だった。そうした状況でも、自分を認めてくれる人がいることは非常に有り難かったし、嬉しかった。

だが、自分自身が自分を認めていなかった。それが問題だった。

勤務したかった。働きたかった。

かといって誰でもできる仕事はやりたくなかった。

他の人にできる仕事は、他の人がやればいい。そうしたらその人はその仕事で生きていけるし、生活できる。自分は貧しく我慢すればいい。超わがままだが、「自分にしかできないことで、誰かの何かになりたい」という思いを捨てられなかった。

だから辞めた。

今のところ、自分にしかできなさそうなことは「ボートを漕ぐ」ということだ。それが「誰かの何かになる」つまりは「仕事になる」にはどうしたらいいか。

ボート選手が「ボートを漕ぐこと」で生きていけるようにする。大きく、マイナースポーツの選手が、その競技で生きていけるようにする。それを仕事にしようと思った。

そのために、できるだけその閾値(いきち)を小さくしたい。現状、スポーツで生きていくには、何百万人何千万人を相手にして初めて報酬を得られる。だからこそマイナー競技の選手たちはオリンピックという、何千万人、何億人コースに向かって頑張る。だが、すでにオリンピックはプロでないと勝てない大会になっている。

プロでないと勝てない。

プロになるには何千万人の注目が必要。

何千万人の注目を集めるには、オリンピックで勝たなければならない。

でもオリンピックはプロでないと勝てない。

その堂々巡り。この現状を変えなければ、勝てない。特にボートは。

閾値を低くする。地域密着型の飲食店みたいに、週に何百人来てくれれば成り立つとまではいかなくても、できるだけ、仕事が成り立つ閾値を低くすればいい。


練習でマメのできている中野選手の手

閾値が低くなればなるほど、多くの人が共存できる。テレビ、新聞などマスメディアに頼っている現状では、テレビは放送時間が決まってるし、新聞も紙面が限られている以上、どうしても登場人物が限られる。

人数が限られるから、どうしてもメジャーな競技ばかりに目が行き、閾値は低くならない。それは仕方ないことだ。自分がメディアで働いていてもそうすると思う。だからこそ、自己発信が可能なネットをいかに使うか。それが閾値問題のカギのように思っている。

プロになること。それで生きていくこと。そのために閾値を低くすること。0を1にし、1を多数にする。

「あなたを応援してる」

その言葉がどれだけ選手を元気づけるか。選手としての幸せか。それを最も端的に現す言葉が、「プロ」だと思う。

「職業:競技」を増やす。それを仕事にしたい。
《中野紘志》

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