【THE REAL】川口能活の燃え尽きぬ炎…不惑を越えた守護神がJ3・SC相模原で現役を続ける理由 2ページ目 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】川口能活の燃え尽きぬ炎…不惑を越えた守護神がJ3・SC相模原で現役を続ける理由

オピニオン コラム
川口能活 参考画像(2010年5月24日)
  • 川口能活 参考画像(2010年5月24日)
  • 川口能活 参考画像(2006年6月22日)
  • 川口能活 参考画像(2006年2月28日)
  • 川口能活 参考画像(2006年6月18日)
  • 川口能活 参考画像(2005年6月16日)
■生涯2度目のオファー

望月会長からオファーを受けるのは、実は四半世紀ぶりとなるという。セピア色になりかけている記憶をひも解いていくと、静岡・東海大学第一中学校の3年生だった1990年にたどり着く。

3年連続で全国中学校サッカー選手権に出場。2年時と3年時には大会優秀選手にも選出された川口は、サッカーどころ静岡でも名前の知れたゴールキーパーに成長していた。

本来ならば系列校の東海大学第一高校へ進学するはずだった川口を、清水商業高校の名物指揮官、大滝雅良監督はどうしても入学させたかった。そして、スカウトの"密命"を受けたのが当時2年生の望月会長だった。

「当時の静岡選抜は中学生と高校生が合同で合宿をしていたんですけど、そのときに一緒に参加していた重良さんから『お前、ウチに来い』と言われて。生涯2度目のオファーですね」

苦笑いで25年前のやり取りを思い出す川口は、清水商業高校へ入学した直後からレギュラーの座を獲得。3年時には静岡県予選から全国選手権準々決勝で11試合連続無失点を達成。決勝では連覇を狙った国見高校(長崎県)を撃破し、守護神およびキャプテンとしてチームの全国制覇に貢献した。

横浜マリノスでも2年目からレギュラーとして君臨。アトランタ五輪で王国ブラジルを1-0で倒す世紀の番狂わせの立役者となり、日本が悲願の初出場を果たした1998年のワールドカップ・フランス大会でもゴールマウスに仁王立ちした。

ファンやサポーターを魅了してきた軌跡の原点は高校時代にある。川口はいまも感謝の思いを忘れない。

「清商から自分が飛躍できたと思っているので、第2の飛躍というか…まあそれは冗談ですけど、また何かを得たいという思いがあります。まだまだプレーし続けたいという思いもありますし、そのなかで自分の目に見えるものを求めていきたい。相模原に決める前から、これから強くなるチームだと聞いていましたし、重良さんを中心にこれからさらに力を入れて、飛躍していこうとも聞いているので、何とかその力になりたいと思っています」


2006年国際フレンドリーマッチの川口能活(後列右)

■J2昇格に向けた新しい戦い

J1およびJ2よりも約2週間遅れの3月13日に、J3の戦いは幕を開ける。16チーム体制となった今シーズンは、新たに参入したFC東京U‐23をホームの相模原ギオンスタジアムに迎える。

昨シーズンは中盤戦までJ2への昇格争いに加わりながら、息切れを起こした。最終的には2位で入れ替え戦に臨み、J2へ昇格したFC町田ゼルビアに勝ち点20差の4位に終わった。

SC相模原の目標は今シーズンもJ2昇格。そのためには、最低でも2位に入る必要がある。新たなる戦いへ。8月には41歳になる炎の守護神は、静かに闘志をたかぶらせる。

「試合に対するモチベーションの高さは変わらないし、ピッチに立っているときは年齢というものは関係ない、いま現在の自分にできることをしっかりとやり遂げるという姿勢も若いときから変わらない。声をかけてくれた重良さんのために、そして監督である(清商OBの)薩川(了洋)さんのために、精神的な面でもチームの力になれるように、いままでの経験を生かして若い選手たちにいろいろと声をかけていきたい。もちろん、戦力としても相模原のプラスアルファになれるように、一日一日を積み重ねていきたい」

25日には2016年シーズンの背番号が発表され、川口は「23」に決まった。意外な番号に思えるかもしれないが、実は川口にとっては深い思い入れのある数字となる。


2005年コンフェデレーションズカップの川口能活

ジーコジャパン時代。ひとつ年下のライバルで、ともに4大会連続のワールドカップ出場を果たした楢崎正剛(名古屋グランパス)からレギュラーを奪い、2006年のドイツ大会へと臨んでいった過程で、あえて一番大きな番号となる「23」を背負い続けた。

自身と当時所属していたジュビロの不振もあって、A代表から外れたのは2009年3月。その後に試合中に右脛骨を骨折する全治6カ月の大ケガも負いながら、チームのまとめ役として岡田武史監督からサプライズ招集された2010年の南アフリカ大会でも「23」番だった。

振り返ってみれば、逆境からはいあがっていくときには必ずといっていいほど、「23」番が川口を奮い立たせてきた。大恩ある先輩が神奈川県社会人リーグ3部からスタートさせた、新天地・SC相模原にかける熱い思いが、濃密すぎる経験が詰まった頼れる背中から伝わってくる。
《藤江直人》

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