■念願の全日本チャンピオン
「ここまで自分が活躍できるとは思っていなかった」と窪木は2015年を振り返った。大学卒業後、和歌山県教育庁に所属し公務員として働いていたが、1年目の9月からマトリックス・パワータグで走るプロの自転車選手の顔も持つようになった。それから3年、二足のわらじを履きながら国内の頂点に上り詰めた。
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全日本選手権ロードの表彰台でチャンピオンジャージにそでを通した
兼業選手として苦労した。仕事があるからといって自転車のトレーニングを欠かすわけにはいかない。練習時間の捻出が一番の課題だった。
「1年目から葛藤でした。(公務員として働きだす前から)ずっと考えて、考えた上で決めたのですが、僕は朝と夜しか練習ができていない。ライトを付けながら、(一般の)皆さんがやっているのと一緒で時間を捻出して、その時間の限りでしっかりと追い込んでいます」
朝と夜だけの限られた練習。時間は毎日3時間ほどで、長くても4時間が限度だった。早朝5時から高校生たちと練習し、夜はライトの光を頼りに走り込む日々を続けた。自転車の練習を終えて帰宅すると、「あとはウエイトトレーニングをして、ご飯を食べたらマッサージをして、お風呂に入って寝る」だけで一日が終わってしまう。仕事と自転車のみだ。
「でも、そう決めて和歌山に行っているので」
固い決意はまず2014年に結果を出し、トラックで全日本選手権オムニアムを制した。そして翌年は全日本選手権ロード優勝という栄冠を招き寄せた。窪木が自転車競技を始めたのは16歳、高校生になってからと決して早くはない。自転車競技に出会うまでは、サッカーやバスケットをしていた。しかし、団体競技では一番にはなれないと感じた。そんな時に自転車競技に出会った。
「(故郷福島の)自分の町が、オリンピック選手が沢山でている町だった。人口少ないんですけど。そういう所から自転車が強いからやってみないかと(誘われた)。それで始めたのがきっかけですね」
窪木はロードレースとトラックの二種目をこなすが、トラックに重きを置いている。トラックに積極的に取り組めるよう公務員の道を選んだ。1周400m前後のバンクを走るトラック、その魅力は駆け引きだ。
「空気抵抗とか、ロードレースよりも限られたスペースで、規定の細かい機材で勝負することでより鮮明になる。同じところを走るので何回も何回も選手の苦しい表情、うれしい表情、速かったスピード、遅いスピード、駆け引きが間近でわかる。ロードレースと違ってしっかり見ることができるから楽しいなって思います。それに女性のレースも見れるし。ロードレースも女性のレースはありますが、トラックレースの方が女子と男子同じ比率で走っている。そこが楽しいですね」
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第46回JBCF全日本トラックチャンピオンシップでは三冠を達成した
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