【THE ATHLETE】ヘビー級王者マックス・シュメリング…激動の時代に貫いた、絆と信念 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE ATHLETE】ヘビー級王者マックス・シュメリング…激動の時代に貫いた、絆と信念

オピニオン コラム

マックス・シュメリング 参考画像(1936年1月1日)
  • マックス・シュメリング 参考画像(1936年1月1日)
  • シュメリング対ルイス(1938年06月22日)
  • マックス・シュメリング 参考画像(1965年9月28日)
  • マックス・シュメリング 参考画像(1936年1月1日)
  • マックス・シュメリング 参考画像(1994年11月22日)
  • ジョー・ルイス 参考画像(右/1948年6月27日)
  • ジェームス・J・ブラドック 参考画像(右/1938年2月3日)
1938年6月22日、ドイツ人ボクサーのマックス・シュメリングはヤンキースタジアムで出番を待っていた。ドイツとアメリカ、両国間の緊張が日に日に増し、戦争は避けられないとの見方が広まっていた時期だった。

アメリカ人が向ける敵意は凄まじく、一緒に来たスタッフは当日のセコンドにつくことを拒否した。四面楚歌の状況でシュメリングが挑むのは、当時の世界ヘビー級王者ジョー・ルイス。"褐色の爆撃機"の異名を取り、後に世界タイトル25連続防衛という不滅の大記録を打ち立てた、歴史に残る名チャンピオンだ。


マックス・シュメリング

シュメリングとルイスが対戦するのは2年ぶり、2回目のことだった。デビュー以来無敗街道をひた走り、次代のヘビー級を背負って立つのはルイスだと言われていた時期、連勝を止めたのが"ナチの操り人形"シュメリングだ。

その呼び名と裏腹に、彼はナチスに非協力的な人物だった。1935年にアドルフ・ヒトラーから昼食に招かれ、ナチスに入党するよう勧められたものの、ヨーゼフ・ゲッベルスと議論を交わした後にこれを断っている。人種を理由にプロモーターと手を切ることや、夫人との離婚を命じられても従わなかった。ナチスが弾圧を始めるとユダヤ人の少年ふたりを匿ったこともある。

なぜそんな危険を冒したのか。いくら「政治には関心がなかった」と言っても、当時のドイツでヒトラーに逆らうことの意味が分からないはずはない。シュメリングは1993年に受けたインタビューの中で、「私は人々に『あいつは優れたアスリートだが、人間としては何の価値もないやつだ』と言わせたくなかった」と述懐している。


ジョー・ルイス(右)

■"ローブロー・チャンピオン"と揶揄されたタイトル奪取

シュメリングは現在に至るまで唯一、ドイツ人として世界ヘビー級王座に就いたボクサーでもある。しかし彼の世界タイトル奪取には当時疑問も呈されていた。

彼は1930年にジャック・シャーキーの持つ世界タイトルに挑戦、第4ラウンドにローブローを受け試合続行不可能となり、相手が失格したことでチャンピオンになる。リング上でうずくまったまま世界王者になったシュメリングを、当時の人間は"ローブロー(金的)チャンピオン"と揶揄した。

シュメリングは1931年、ヤング・ストリブリングにTKO勝ちして王座防衛するが、翌1932年に行われたシャーキーとの再戦では議論を呼ぶ判定で敗れタイトルを失った。シュメリングの奮闘を讃える声は多かったが、1度の防衛だけでベルトを失ってしまったのも事実だ。

■ナチスの勢力拡大で"アメリカの敵"にされたシュメリング

シュメリングのボクサー人生で転換期になったのは1933年。シャーキーに敗れタイトルを失ったのと同じころ、ドイツでは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が最大の政治勢力になった。その思想は人種差別的であり、特に反ユダヤの傾向が顕著だった。

1933年6月、シュメリングがアメリカ人ボクサーのマックス・ベアと対戦したときには、アメリカは彼を敵と見なすようになっていた。ナチスの尖兵と見なされたシュメリングの前に、対戦相手のベアはユダヤのシンボルであるダビデの星を身に着け現れた。

観客はベアの姿に興奮し、異様な雰囲気の中で試合が始まるとシュメリングは名うてのハードパンチャー、ベアの拳を受け10ラウンドKO負けする。この試合後「シュメリングは終わった」とささやく声も聞かれるようになった。

■群雄割拠のヘビー級、ベルトはシンデレラマンの腰へ

シュメリングがタイトル戦線から一歩後退し、ドイツに戻って試合をしている間も、アメリカのヘビー級は目まぐるしく展開していた。元世界王者シュメリングを踏み台にしたベアは1934年7月、後にプロレス転向し力道山とも対戦した巨漢ボクサー、プリモ・カルネラから11度のダウンを奪う圧倒的な勝利で世界タイトルを奪取する。

しばらく長期政権を築けるチャンピオンが現れず、ジャック・デンプシー以後は短命な王者が多かったヘビー級。久しぶりに強いチャンピオンが現れたかとの期待もあったが、1年後ベアは盛りを過ぎたと見られていたボクサー、ジェームス・J・ブラドックに判定負けする。


ジェームス・J・ブラドック(右)

試合前の「あなたは何のために戦うんですか?」という記者の質問に、「私は子どものミルク代のため戦います」と答えたブラドックを人々は笑ったが、現在そのサクセスストーリーは『シンデレラマン』として映画にもなっている。

短命で終わった元王者ベアは再起をかけ、日の出の勢いだった黒人ボクサーと対戦する。それが後に世界タイトルの連続防衛記録を作り、ヘビー級戦国時代を終わらせるジョー・ルイスだ。

ベアはブラドック戦で負った右手の傷も癒えないままルイスと戦い、4ラウンドに強烈なパンチを受け敗れた。彼が再び王座に返り咲くことはなかった。

一方、このころシュメリングはドイツで勝ち星を積み重ね、再びタイトル戦線に復帰しようとしていた。ブラドックの次期挑戦者は1番手がルイス、2番手がシュメリングと見られた。

ふたりは1936年にブラドックへの挑戦権を賭け直接対決する。大方の予想はルイス勝利。しかしシュメリングは戦前にルイスを徹底的に研究し、ついに勝機を見出す。

【"ナチの操り人形"と呼ばれたボクサー…マックス・シュメリング 続く】
《岩藤健》
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