昨年のツール覇者で今年は総合4位となったイタリアのビンツェンツォ・ニーバリや、総合3位となったスペインのアレハンドロ・バルベルデもそのひとりでした。
日本でも国内選手権が6月28日に栃木県の那須エリアで開催され、Team UKYOの窪木一茂が初優勝となりました。
■レースに不可欠な戦術
ところでレースの経験がまったくなく、かつ事情にも疎い僕ですから、各チームが戦術を立ててレースに臨んでいることも、エースはエース、アシストはアシストとしての役目を担っていることも概念として知っているとはいえ、具体的なありようにまでは理解がおよびません。たとえ事前に知っていたとしても、レース当日の天候や風向き、展開や選手の好不調により、戦術も各選手の果たすべき役目も随時変わっていくのが実際のレースです。
『エスケープ』(辰巳出版)を読み終えたとき、そのことを改めて思い知らされました。本書はフリーランスライターの佐藤喬さんが、那須ブラーゼンの佐野淳哉が優勝した2014年の全日本自転車競技選手権大会ロードレースを、時系列を追って綴ったドキュメンタリーです。
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『エスケープ』(辰巳出版)
レース序盤から逃げ集団が形成されつつも、終盤になるとメイン集団に吸収されて振り出しに戻り、最後は有力選手同士の争いに…。これがよく見られる展開ですが、2014年の全日本では逃げ集団が吸収を逃れ、佐野、井上和郎(ブリヂストンアンカー)、山本元喜(ヴィーニファンティーニNIPPO)という3選手のつばぜり合いから佐野が飛び出してそのままゴール。極度の不振にあえいだ前年のリタイアからは想像できない、まさかの復活劇となりました。
スタート前のプロトンでは別府史之(トレックファクトリーレーシング)が傑出との下馬評。ただし海外チーム所属のために単独参加、チームのサポートが得られず、チーム力に秀でた清水都貴(ブリヂストンアンカー)や増田成幸(宇都宮ブリッツェン)、あるいは2012年の全日本勝者でスペイン一周のブエルタ・ア・エスパーニャ完走経験もある土井雪広(Team UKYO)らにも十分勝機があるものと見なされていました。
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全日本選手権 イメージ(2015年)
彼ら有力選手のいるメイン集団が、なぜ逃げ集団に追いつけなかったのか? はたまたアシストを任された井上や山本が、エースに代わって優勝争いを繰り広げる結果になったのはなぜか? こうした疑問の数々は選手が語る言葉から解き明かされていきますが、それも一筋縄ではいきません。
たとえば「メイン集団が追いつけば、エースの清水で勝負ができる」と考える井上は、積極的にはローテーションに加わらず、逃げ集団のペースを抑えようとします。その認識は清水も分かち合っていますが、井上がローテーションにという逆の情報が清水を困惑させることに。一方の井上も集団の逃げ切りが濃厚となったとき、自らの勝利を思い描くようになります。
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全日本選手権 イメージ(2015年)
このように情報の不備に起因する判断ミス、与えられた役目と個人的な願いとの葛藤など、力と力のぶつかり合いと見られる勝負の裏で、さまざまな不確定要素が働いていることもまたレースの真実。当日の気温が平年並みであったら、ブリヂストンアンカーが佐野の逃げを容認しなかったら、メイン集団が中切れを起こさなかったら、その結果は大きく変わったことでしょう。
佐藤さんは緻密な取材によって勝負の綾をていねいにほぐし、選手が織りなす生のドラマを描き切ってくれました。レースの帰趨を左右する存在であった別府にも、当人の言葉でレースを振り返って欲しかったところですが、それは欲張りといえましょう。