波乱の幕開けだった。スタート直後のターン2入り口で佐藤琢磨がセイジ・カラムと接触した。琢磨は左フロント・サスペンションを痛めピットでの修復を余儀なくされる。
そのイエローが解除されようとしていた7周目にシモーナ・デ・シルベストロがファン・パブロ・モントーヤに追突するというアクシデントが起こった。リヤ・ホイール・ガードを壊したモントーヤはピットに飛び込む。これでモントーヤ2度目のINDY制覇は消えたと誰もが思った。
トップ争いはスコット・ディクソン、トニー・カナーンのチップ・ガナッシ勢とシモン・パジェノー、ウィル・パワーのペンスキー勢との間で展開された。この4人の中からトニー・カナーンが残り48周で脱落した。ターン3での単独スピン・クラッシュだった。
チップ・ガナッシからはカナーンと入れ替わるようにチャーリー・キンボールが首位争いに名乗りを上げて来たが、ペンスキーからももうひとりの男が上位に進出して来た。モントーヤだ。
残り15周で最後のグリ-ン・フラッグが振られるとトップ争いは激化する。パワーはなんとかディクソンを退けることに成功するが、今度は残り4周でモントーヤにその座を奪われる。まだINDY500での優勝がないパワーは懸命に食い下がったがコンマ1秒差で涙を飲んだ。
2000年に次ぐモントーヤ2度目のINDY500優勝だ。2位パワー。3位キンボール。84周もリード・ラップを奪いながら4位に沈んだディクソンとは対照的に、勝ったモントーヤのリード・ラップは僅か9周だった。
昨年、ロジャー・ペンスキーにNASCARからオープン・ホイール・レースに呼び戻されたモントーヤが復帰後2度目のINDY500でビクトリー・レーンに帰ってきた。今年40歳になる彼には決してたやすい挑戦ではなかったはずだが、これこそが彼の生きるべき道なのだろう。モントーヤのINDY500での戦績は3戦2勝、勝率6割6分という恐ろしいものとなった。
琢磨は一時3周遅れになりながらもレースを諦めず、同一ラップまで巻き返してのINDY500自己最高位タイ13位でフィニッシュした。あの1周目の事故さえなければと悔やまれる。カラムの見解は異なるが3ワイドでのスタートである以上、ターン1ではアウトに1台分のラインは残しておかなければいけないだろう。行き場を奪われた琢磨に同情を禁じ得ない。
《重信直希@レスポンス》
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