【山口和幸の茶輪記】1時間でどれだけ走れるかを競うアワーレコードはもともと新聞ネタだった | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】1時間でどれだけ走れるかを競うアワーレコードはもともと新聞ネタだった

スポーツ まとめ

1993年にクリス・ボードマンが52.270kmのアワーレーコード新記録を達成
  • 1993年にクリス・ボードマンが52.270kmのアワーレーコード新記録を達成
  • クリス・ボードマンはスーパーマン走法で1996年に56.3759kmの世界新記録を樹立した
  • 2000年にオーストラリアのアンナ・ウィルソンが女子の世界記録となる43.501kmを樹立
  • 2000年にオーストラリアのアンナ・ウィルソンが女子の世界記録となる43.501kmを樹立
  • クリス・ボードマンはスーパーマン走法で1996年に56.3759kmの世界新記録を樹立した
  • クリス・ボードマンはスーパーマン走法で1996年に56.3759kmの世界新記録を樹立した
  • クリス・ボードマンはスーパーマン走法で1996年に56.3759kmの世界新記録を樹立した
  • 1993年にクリス・ボードマンが52.270kmのアワーレーコード新記録を達成
トラック競技場で1時間のうちにどれだけの距離を走れるかを競う「アワーレコード」という種目がある。2014年9月18日、前日に43歳の誕生日を迎えたドイツのイェンス・フォイクトが51.110kmという世界記録を更新したのは記憶に新しい。

この種目を発案したのはフランスのスポーツ新聞社に勤務していたアンリ・デグランジュ(Henri Desgrange)だった。1893年5月11日にデグランジュ自らが1時間を走り、35.325kmを記録。だれもやったことのない企画だったから、それがそのまま最初の世界記録となった。

その後、記録は徐々に伸びていく。1972年10月25日には「自転車史上最強の選手」と言われるベルギーのエディ・メルクスがメキシコシティの高地で49.431kmを樹立。メルクスは最先端の新素材を使用したコルナゴ製の超軽量マシンを駆使したのだが、それは世界のレース界においてコルナゴが不動の地位を確立した瞬間だった。

1993年には英国のグレーム・オブリーがハンドルバーの上に胸を乗せて走る奇妙なフォームで新記録を達成。オブリーはかなり奇抜な発想の持ち主で、洗濯機の部品を使って自転車を自作。さらに2度目の挑戦時はハンドルバーを前方に突き出し、上半身を伸ばして走るスタイルで記録をさらに伸ばした。だれもが見たことのないフォームは映画スーパーマンが空を飛ぶシーンに似ていることから、「スーパーマン走法」とも言われた。

オブリーの成功が引き金となって記録ラッシュの時代になった。イタリアのフランチェスコ・モゼール、英国のクリス・ボードマン、スペインのミゲール・インデュライン、スイスのトニー・ロミンゲルらが次々と記録を更新し、1996年にはボードマンが56.375kmの最高記録を打ち立てた。

しかし奇抜なスタイルを規制する動きを国際自転車競技連合が採用し、なんとメルクス以降の記録をすべて白紙にしてしまった。ドロップバーを使ったオーソドックスな自転車しか使用できないようにルールを明確化。2005年にチェコのソセンカがその昔風の走りで記録した49.700kmが、フォイクトが挑戦する時点での世界最高だった。

じつのところ、フォイクトの挑戦前に国際自転車競技連合は再びルール変更し、トラック種目の追い抜き競技で使用する自転車を使用していいように規則を緩和。フォイクトはそのアドバンテージを利して世界記録をつかんだとも言える。

「これで自転車競技に最高の気分でサヨナラを言える。1997年にボクがこの世界に飛び込んだとき、最初のルームメートがボードマンだったのも因果なものだね」

このアワーレコードを発案した新聞記者はその後どうしたか? 10年後の1903年、ライバル新聞社の人気レース「パリ~ブレスト~パリ」に対抗するために、「フランスを1周する自転車レース」を企画した。それが現在のツール・ド・フランスだ。アンリ・デグランジュのイニシャルであるHDは、現在でもツール・ド・フランスの王者の称号であるマイヨジョーヌに刻み込まれている。

このあたりの古いことに興味があったら拙著「講談社現代新書ツール・ド・フランス」を手にしてみてね。
《山口和幸》
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