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5月31日(現地時間6月1日)に行われたシアトル・マリナーズとニューヨーク・ヤンキース戦の試合で異例のことが起きた。両軍無得点の9回2死無走者の場面でマリナーズはヤンキースのスター選手アーロン・ジャッジを申告敬遠により歩かせた。
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■ボンズは満塁から敬遠
すべての打席を見ているわけではないので言い切ることはできないが、いくら絶好調の強打者でも無走者での敬遠はレギュラーシーズンではなかなかないことである。
メジャー通算最多本塁打記録を持つ バリー・ボンズが全盛時代、申告敬遠の制度はなかったが、ポストシーズンでは満塁で歩かされたこともあったし、三番打者で先発出場して初回二死無走者で捕手が立ち上がって彼を歩かせた記憶がある。
これも全打席を確認したわけではないが通算最多四球のプロ野球記録を保持する王貞治にしたところで、無走者や満塁で歩かされたのを見た覚えがない。一塁が空いていることに限定されていたはずで、一塁が詰まっていたときなどはバッテリーエラーで走者が進塁してしまうと少年時代の私は「これで王さんが歩かされる」とがっかりしたものだ。そういうときでも王は走者に向かって打席で「行け、行け」とジェスチャーをしており、「自分が打たせてもらえなくなるとわかっているのになんと王さんはいい人なんだ」とますます尊敬したことを思い出す。
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1970年、フロリダでロサンゼルス・ドジャース戦に挑む王貞治 (C) Getty Images
実行する例はなかったと思うけれども、「一塁が空いてないときに暴投や捕逸が出ても打席が王の場合に限って走者は次の塁に行くな」という指示が大リーグなら出たのではないか、と私は思うのだがどうだろうか。
それほど王は投手から恐れられた存在だった。
それでも実際には投手は無走者や一塁が空いてない場合は勝負してきたのは、今思うと日本の野球の潔さといえるのかもしれない。
監督は自軍のチーム成績に自分の首がかかっているのだからベストの作戦を選ぶ必要があり、メディアやファンにはその必要がないのだから、軽々にマリナーズ監督の指示を責められない。
一方で、お金を払ってジャッジの打棒を見に来ているファンから見れば、無走者での敬遠はいくらなんでも寛容にはなれないぞ、というのも理解できる。
ここで言いたいのは、最近は少なくなってきたが「大リーグは日本と違って力と力の勝負をする世界だ」と思い込んで渡米する日本人選手やそういう報道をするジャーナリストには、「ボンズやジャッジの敬遠をどう説明するのか」ということだ。
これも最近は減ってきたがグラブに細工をしたり、バットにコルクをつめたりというような不正も日本ではほとんど見ないけれどもアメリカではよく起きていた。
最近の日本のメディアが否定的に使う「勝利至上主義」という概念はよほどアメリカのほうが強いように私には見える。
■敬遠にからむ複雑な心境
敬遠に対して、監督から指示が出たときの投手はどう思っているのかも私は気になっている。投手の本能から見れば打者を打ち取るのが楽しみで投げているのに打者との勝負を避けて歩かせるというのは最上級の屈辱だという考えもある。詳述は控えるが、早慶戦の舞台で慶応大学の大森剛を歩かせた早稲田大学の小宮山悟、ヤクルト・スワローズのロベルト・ペタジーニを歩かせた読売ジャイアンツ上原浩治がマウンドで流した涙を忘れることができない。
一方で投手だって監督と同じくらい勝ちたい、勝ち投手になりたい、と思って投げている。勝負どころでこの打者を歩かせたほうが勝ち投手になる可能性が高まると判断したらいくらブーイングを浴びたとしても喜んで一塁を渡す、という投手がいてもおかしくはない。
実際にはどちらにしても監督の意向に反するようなコメントを出すわけにはいかないだろうが、涙は正直なものだ。
私の年齢だとこうして敬遠が話題になると1992年の夏の甲子園で起きた松井秀喜の全打席敬遠をすぐ思い出す。監督にとっては、実際にそれで次打者をすべて凡打に打ち取り作戦は大成功だが、私にとって問題は投手の気持ちである。「松井に打たれた」も「松井を三振に取った」というのもいずれも一生の自慢話になると思うが、「松井を全打席歩かせた」ではその投手には何も残らないと私は思ってしまう。
敬遠という作戦には、監督と投手と両軍ファンの思いがさまざまに入り乱れるところにぜひ思いを馳せてほしい。
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著者プロフィール
篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授
1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。