【スポーツビジネスを読む】びわこ成蹊スポーツ大学・大河正明学長 「ガバナンスの整備、圧倒的収益化が社会的地位向上につながる」 後編 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【スポーツビジネスを読む】びわこ成蹊スポーツ大学・大河正明学長 「ガバナンスの整備、圧倒的収益化が社会的地位向上につながる」 後編

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【スポーツビジネスを読む】びわこ成蹊スポーツ大学・大河正明学長 「ガバナンスの整備、圧倒的収益化が社会的地位向上につながる」 後編
  • 【スポーツビジネスを読む】びわこ成蹊スポーツ大学・大河正明学長 「ガバナンスの整備、圧倒的収益化が社会的地位向上につながる」 後編

びわこ成蹊スポーツ大学大河正明学長が、Bリーグのチェアマンを退こうと決意したのは2020年2月19日のことだった。

◆【前編】びわこ成蹊スポーツ大学・大河正明学長 元銀行マンによるJリーグとBリーグを巡る冒険

■降って湧いたびわこ成蹊スポーツ大学学長の職

「たまたまそう決断した夜、早稲田大学の間野先生(同スポーツ科学学術院スポーツ科学部・間野義之教授)と会食が入っていまして『このシーズンが終わったら、退くことにしました』と伝えたんです。次のステップは何か一緒に考えられないかとも思ったものでね。すると間野先生が『大阪成蹊大学がスポーツビジネス研究所を作るという話がある』と、その場でいきなり電話し始めるわけです」。

こうして4月初旬、新型コロナウイルスによる初めての緊急事態宣言が出される直前、大阪成蹊学園の石井茂理事長との打ち合わせが実現。さらにスポーツイノベーション研究所の所長もさることながら、系列のびわこ成蹊スポーツ大学の学長まで勧められる事態へと発展した。

びわこ成蹊スポーツ大学キャンパス (C) びわこ成蹊スポーツ大学

「さすがに即答はできませんでした。『ちゃんと考えますので2週間時間ください』とお返事し東京へ戻りました。僕は京都出身じゃないですか。考えてみると大学を出てからその当時で39年間、親の期待にまったく沿うことなく、ずっと関東で働いてきたわけです。大阪成蹊にお世話になると、これは実家に戻ったり、戻らないまでも京都あたりに居を構えることになるのも何かの運命かと…。父はすでに亡くなりましたが、今92の母も当時89歳、『帰ってきてほしい』という雰囲気はありましたし。東京の家を残しながらですけども。こうしてびわこ成蹊スポーツ大学に副学長としてまず参画、大阪成蹊大学のスポーツイノベーション研究所の所長もかねて、滋賀と大阪に通い出すことになりました。まさか僕も大学の学長になるとはまったく想像していませんでした。ただ、これからの学生が、いや社会人でもかまいませんが、若いスポーツ・ビジネスを志す人たちに、何かこれまでの経験を含め伝授していく機会があったらいいなとは考えていましたね」とこの機会が、まさに渡りに船だったと語る。

■会社にしがみつくしかない日本のサラリーマン

大学を卒業後、企業に就職、定年まで勤め上げ、退職金を手にし、しかしその後は隠居生活を送る…そんなサラリーマン人生と一線を画す大河さんの歩みをどう読み解くか。大手企業に勤務しつつ、役職定年以降も社に居座れば半分以下の年俸で嘱託として再雇用される。身体はまだまだ元気ながら、しかしその先に道は示されていない。現代はサラリーマンにとってそんな時代だ。

「僕は『来るものは拒まず、去るものは追わず』の性格だから『いらない』と言われたら去る、『やれ』と言われれば身体が動くうちはやる。ただ一般のサラリーマンは、まだ終身雇用があるがゆえに自分を鍛えることができない。ふと気づいて40代、50代になった時に自分がマーケット価値以上に給料をもらっているということに誰も気がついてないの。自分は自分でいろいろな経験を積んで、力を蓄えてたら、いまどきはマーケットプライスが高かったら転職できるじゃないですか。でも昔のままの人たちはそれができない。だから会社にしがみつくしかない…そういうことだと思います」と現在の中高年サラリーマンの市場分析について見解を示した。

さらに「僕だってJリーグに出向してなかったらどうなっていたか。ましてやITやデジタルの知見があるわけではない。でも、スポーツ界は人材難でもある、そういう中で生きていけるようになった。あの当時の出向がなかったら今は絶対なかった。銀行において融資の際は、稟議書を作成する。融資したい支店側と、それを慎重に検討する融資部がやり取りする。僕はリテール営業部という部署にいて、各拠点を臨店した。この臨店が、クラブライセンス発行審査のために各クラブを回るのとほとんど同じことでした。ライセンス発行のためには『この点をこう改善してほしい』と条件を出す。銀行で例えればクラブは支店、僕が融資部の役割。そうした丁々発止は、もう銀行のノウハウがなかったら、絶対にできなかったと思います。これはもう、出向という人事をくれた点も含め、銀行に感謝しなきゃいけないんですけどね」と自身を育ててくれた古巣への感謝を忘れなかった。

「銀行にいると、53、4歳とかで関連会社に行き、自分のポストだったら最後はこんな関連会社の役員になるんだ…とだいたいわかる。そこで63や65歳まで働き、企業年金や厚生年金をもらって『はい、ご苦労さん』という人生を送る。そのレールに乗っていく人生は、ちょっとつまらないなぁと思ったから、その手前で自ら手を挙げて『Jリーグに行きます』と宣言してしまった。65歳まで見える安全牌な人生をやめて、1年先の見えないスポーツ界に入っちゃったわけですが。波乱万丈でいろいろ、いいことばかりでは決してありませんが、結果として、あのまま銀行にいるよりは100倍楽しい生活をしてるなぁと思います(笑)」。

自ら講義も受け持つ大河さん (C) びわこ成蹊スポーツ大学

■スポーツビジネスを実践型で教える教育機関

まだまだスポーツ界への貢献が期待される大河さんが、これから手をつけていく事業は何か。最後に尋ねた。

「まずミクロのテーマからお話しすると、現在のスポーツ業界はほとんどが転職組。まずはどこかの企業に就職しある程度、経歴を背負ってから転身する。これをほんの数人でもかまわないので、大学卒業からプロスポーツ・チームに就職できるようにしたいと考えています。スポーツ界は要するに、社員を教育する余裕がないんですよね。だから、何のノウハウもない新人を採用するつもりはない。しかし、考えてみれば、例えば鹿島アントラーズには『アントラーズ・スピリット』がある、歴史的にそれが綿々と受け継がれている。もちろん、そのスピリットは選手だけではなく、スタッフにもあったほうがいい。スポーツ界も新卒を採用し、クラブがチーム戦術を選手に植え込んでいくように、事業会社もスピリットやカルチャー、スタッフを含めたバリューを築き上げていくための教育を課してほしいと思いますし、そのお手伝いができればと考えています」とまずは目の前の課題を挙げた。

大河さんはさらに「マクロの考え方では、少子化の影響で日本の大学は経営が難しくなります。平成ももちろん少子化が進んだわけですが、大学進学率の上昇と18歳人口の掛け算により、進学者そのものは減ったように見えなかった。それがこれからは着実に減少します。その中ではスポーツ、体育会系大学として今後、どう生き残っていくかは、最大の課題です。例えば日体大とか大阪体育大などは、スポーツをする人を育てる大学というイメージが定着していますが、スポーツを支える人を育てる大学にならなければいけません。だからスポーツ・マネジメントやスポーツ健康科学などさまざまな分野が確立され始めていますが、まだまだ遅れている。もっとスポーツの総合大学として異彩を放つスポーツ学を学べるような大学にしたい…という目標が中長期的にはありますね。

同時に並行して大学院を活性化し、スポーツチームの経営の中核を担えるようなマネジメント人材の育成も手掛けたい。スポーツビジネスに関わるいろんな現場、楽しい部分だけではなく、苦しい部分も全部教える。そうした意味では、本当のどろどろした現場を見てきた教授、教員がどれだけいるのか。本と座学の世界で生きているわけではなく、現場の生の温度感を持っておかないと、きちんとした情報が学生に伝えられないなとは思っています。やっぱり現場の苦難を背負いながら教育できるのが一番。経験はゆるぎなき教師なので、僕自身何年後まで学長ができるかわかりませんが、実践型で教えていける教育機関に仕上げられないかとは考えています」と大きなビジョンについても語った。

■スポーツビジネスに携わるなら、びわこ成蹊スポーツ大学

もちろん、スポーツの大学教育のみならず、日本のスポーツ界についても憂える。特に日本においては「たかがスポーツ」という風潮は色濃く影を落とし、スポーツの社会的地位の向上が図られないままだ。その点について、大河さんはまずガバナンス強化と事業化を挙げる。

「例えば、大相撲の理事長はかならず元横綱。事業を考えたら、横綱である必要はありません。不祥事についてもやはりどうしても身内を見る目になりますから、以前はなかなか処分を下せなかった過去がありますし、これが横綱でなかったら3倍も5倍も収益化できると思います。Jリーグの村井さんが4期8年で退きましたが、何も失敗したわけではない。任期だからです。しかし、別のスポーツ団体になると、すぐに自分でルールを作って、延々と退かない人がいっぱいいる。これではガバナンスも何もあったものではありません。どうもトップには『俺がガバナンスだ』みたいな人が多く、むしろそれはガバナンスの正反対だと気づかない。そして日本のスポーツ界では選手はプロですが、経営陣、社長は単なる親会社からの派遣であってプロではない。浦和レッズの社長になったら、ベースは1,000万円だけども事業収益のインセンティブで5,000万円も稼げる…そんなプロ化が必要じゃないかと思います。そのガバナンスを整備し、そして事業的にも圧倒的に収益化を図る、それでもう圧倒的にスポーツ界がいいよね、夢がある世界だよねとなると、スポーツの社会的地位向上につながるのだと思います。一流感があって、信頼されないと、その領域にたどり着けないですよね」。

講義中のプロスポーツコアチーム (C) びわこ成蹊スポーツ大学

同校では「スポーツビジネスに携わるなら、びわこ成蹊スポーツ大学」を目指し、2月より「プロスポーツコアチーム」の講座がスタート。これは「プロのスポーツクラブに運営スタッフとして就職したい」という志を持つ学生に対し、必要な基礎知識や現場経験を得ることができる場を提供、プロのスポーツクラブで即戦力として活躍できる人材を育成することを目的に結成されたチーム。

書類選考と面接によって選抜された6名の学生が、大河さんが講師をつとめる実務講座を月2回ほど受講し、同校と連携しているプロスポーツクラブ(久光スプリングス、滋賀レイクスなど)にインターンとして積極的に派遣されるプログラムとなっている。

大河さんが学長を務めるびわこ成蹊スポーツ大学が、波紋のひとつとなり、日本におけるこうしたスポーツ界の課題が次々と解決されていく…。そんな未来がくると日本のスポーツ界の発展にも、大きな期待が持てるのではないかと、深く考えさせられた。

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

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