【サッカー】元日本代表MF稲本潤一インタビュー/第1回:トレーニング編 長くプレーできる秘訣「身体の変化を見逃さない」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【サッカー】元日本代表MF稲本潤一インタビュー/第1回:トレーニング編 長くプレーできる秘訣「身体の変化を見逃さない」

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【サッカー】元日本代表MF稲本潤一インタビュー/第1回:トレーニング編 長くプレーできる秘訣「身体の変化を見逃さない」
  • 【サッカー】元日本代表MF稲本潤一インタビュー/第1回:トレーニング編 長くプレーできる秘訣「身体の変化を見逃さない」

サッカー元日本代表MF稲本潤一は、42歳を迎えた現在もなお輝きを放っている。18日には、関東サッカーリーグ1部に所属する南葛SCへの加入が発表され、チームを通じて「子どもの頃に夢中で読んでいた『キャプテン翼』から誕生したチームでサッカーができることを非常に光栄に思ってます!!チームの今シーズンの目標であるJFL昇格に少しでも貢献できるよう、自分のすべてを出し、チームのためにプレーしたいと思います!」とコメントした。

今回はインタビューを通じて、海外リーグでプレーし、日本代表としてもW杯を3大会経験するなどトップクラスのキャリアを育むことができた理由に迫った。「フィジカル」「技術」「日本と欧州の意識の違い」……。現役生活を支えてきた話は興味深い。第1回は「トレーニング編」と題し、個人的に取り組んできたコンディショニングなどについて聞いた。

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■主眼は「ケガ防止」

ベテランと呼ばれるようになった現在、稲本選手のトレーニングの主眼は「ケガ防止」に置かれている。そこにフォーカスするようになったのは、2016年に右膝前十字靭帯を痛めたことがきっかけ。しかし、その時すでに36歳。普通の選手であれば、とうに現役引退を迎えている年齢だ。そこから復活し、さらに現役生活を伸ばしている秘密はどこにあるのか。トレーニングの一端を明かしてくれた。

「いかにケガを減らして常に練習参加できるか、という部分は年齢を重ねるにつれて大事なポイントになってきます。ケガをした場合、年齢が上がると治りは遅くなりますし、コンディションを向上させる作業も時間がかかります。ケガが治ったからといって、すぐに『はい、もう試合に出られますよ』とはなかなかいかない。やはりケガに対するリスク管理は常に考えています」

具体的なトレーニングメニューは、チームのフィジカルトレーナーと日々相談しながら決めることになる。例えば、チームの全体練習がハードだった場合、当日の筋トレなどは負荷を減らす必要が出てくるからだ。そのため、「これを欠かさず毎日行います」というトレーニングメニューは存在しない。それでも、年齢を重ねると方向性は見えてくるという。

「ボクの場合は筋トレをたくさん行った方が、コンディションが良いようです。ですので、チーム練習とのバランスにもよりますが、筋トレを重視しています。以前は筋肉の質も含めて、普段の練習で筋量は維持できていましたし、むしろ増していたと思います。でも、現在は通常の練習だけでは足りないですし、良いコンディションに持っていくにはチーム練習以外のトレーニングが必要で、それは若い時よりも増えました」

もともと稲本選手はフィジカルの強さには定評があった。その上で、ここにきてトレーニングの時間を増やし、否が応でも落ちてくるフィジカルパワーを補っているのだから、選手寿命が延びるのも納得だろう。

さらに、コンディショニングにも細心の注意を払っており、「バランスの取れた食事を取るのは当然で、睡眠も8時間はキープするようにしている」そうだ。もちろん、多くの選手が行っている交代浴なども普段から実践している。そのほか、体調管理の一環として、栄養補給にも注目。1年ほど前から「SPURT」(※1)というドリンクを愛飲しているという。

「例えば、毎日朝食をしっかり取れればいいのですが、それがどうしても難しい日もあります。そんな慌ただしい時、食事にプラス一品という感覚で飲んでいますね。練習の前後にも飲んでいますし、小腹が空いた時なども摂取しています。練習でパワーが出やすくなりますし、練習後のリカバリーの速さなども、飲むと飲まないとでは大違いです」

■海外選手との意識の違い

中堅・ベテランになってからのトレーニングについては先述の通りだが、20歳代の頃、主戦場としていた海外リーグではどのように過ごしていたのだろうか。屈強な外国人選手を相手に引けを取らなかったことは戦歴が証明しているが、とはいえ彼らとのパワーの差は肌で感じていたそうだ。

「今の選手たちは分かりません。ただ、ボクが海外でプレーしていた頃は、欧州の選手たちはコンディショニングに対して、あまり意識が高くなかったように見えました。練習後に筋トレしている選手なんて見たことありませんでしたよ(笑)。それでも、彼らはいざピッチに立てばよく動くので、『フィッシュ&チップスしか食べてないのに何で?』と思っていました(笑)。本当にフィッシュ&チップスをガンガン食べても、すごく動けるんですよ。何か日本人は損やな~と思っていました(笑)」

例えば、稲本選手がプレーしていたプレミアリーグは試合数も多く、ハードスケジュール。そのため、普段の練習は疲労を残さないように抑え目だし、先ほどのコメントにもあったように筋トレする選手は皆無。練習が足りないと感じたら個人で補うしかないのだ。

「僕の場合は、試合に出ないとコンディションが落ちていくので、日本のトレーナーから送ってもらったメニューを練習後に行っていました。チーム練習とは別に自分でコンディションを上げる必要があったのです。食事に関しては、ロンドンにいた時は、周囲に日本料理店が結構あったので困りませんでした。ただ、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンに所属した時はバーミンガムに移ったので、そのタイミングで現地マネジャーを雇い、その方にご飯を作ってもらったりしていました」

ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン在籍時(C)ロイター

筋トレ、食事、睡眠、栄養補給……。あらゆる観点から自身の身体を見つめ、日々のトレーニングに生かしていることが、第一線で長くプレーできることにつながっているようだが、果たして自身ではどう考えているのか。最後に自己分析してもらった。

「しっかり自分の身体と向き合うことが、長い間プレーを続けられる要因だと思います。若い時は筋肉の張りや硬さなどは気になりませんでしたが、年齢を重ねると、そのような現象がケガを引き起こす原因になることに気付きます。そういう細かい部分をチェックし、不安を取り除いていく作業を中堅・ベテランと呼ばれるようになってからしっかり行うようになったことが大きかったと思います。自分の身体の変化と向き合うようになってからケガも減りました。日々の生活でも疲れを明日に持ち越さないようにしたり、素早いリカバリーに努めたりだとか、そういった一歩一歩の積み重ねが、振り返ってみると長くプレーできた要因かなと思います」

基本的なこととはいえ、地道な努力を惜しまぬメンタリティーや体作りにも手を抜かない姿勢が、キャリア続伸の理由と言えそうだ。

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※1「SPURT」:株式会社ユーグレナから発売されているリカバリー飲料。エネルギーやたんぱく質、ミネラル、ビタミン類に加えて、植物と動物、両方の栄養素を持つ微細藻類ユーグレナを配合。コンディショニングが持続するカラダをサポートするために栄養素を複合的に設計し、吸収しやすくしている。

稲本選手は、「SPURT」が提唱する”サステナブルアスリート”の理念に賛同し、応援パートナーとして参画している。

■編集後記

第1回は主にトレーニングについて話を聞いた。ケガ防止を含めて、体作りやコンディショニングへの気遣いは十分に伝わってきた。ただ、忘れてはいけないのは、体が強く、スピードがあれば試合に出られるわけではないということ。サッカーはあくまでボールを介してのスポーツ。いくら素走りが速くても、ドリブルが遅ければ選手としての魅力は減る。状況判断が遅ければ、スピードがあっても後手に回ってしまう。身体的パワーがあっても、相手からボールを奪う技を持っていなければ、それは宝の持ち腐れとなる。稲本選手が長くプレーできるのは、フィジカルがありつつ、そのフィジカルを生かすテクニックも備えているということを認識する必要がある。その部分は、第2回「技術編」でお伝えしたい。

<PROFILE>稲本潤一(いなもと・じゅんいち)1979年9月18日生まれ。幼稚園でサッカーを始め、中学生ではG大阪ジュニアユースの1期生となる。その後、クラブユース界では知らぬ者はいないほどに成長し、高3時にG大阪でJリーグデビュー。17歳7カ月でゴールを決め、当時の最年少得点記録を作った。2001年にプレミアリーグ・アーセナルへ移籍。イングランドではフルハム、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン、カーディフでプレー。2006年からはトルコの名門、ガラタサライに活躍の場を移す。トルコを去った後もドイツ、フランスなど海外のクラブでプレーした。2010年日本に帰還し、川崎Fに所属。その後はコンサドーレ札幌、SC相模原へと移籍し、2022年は関東サッカーリーグ1部に所属する南葛SCでプレーする。世代別代表ではU-17世界選手権、ワールドユース、シドニー五輪を経験。2000年2月に21歳でA代表に初招集され、02、06、10年とW杯3大会に参戦。日本代表では通算82試合に出場し、5得点を挙げた。181センチ・77キロ。O型。

取材/文・SPREAD編集部

《SPREAD》
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