極めて珍しい2大会同時発表
IOCのトーマス・バッハ会長はリマで開かれた総会で登壇。「2024年の第33回大会と2028年の第34回大会の開催都市を同時に発表できることを大変光栄に思います」と挨拶した。そして「24年はパリ、28年はロサンゼルスで五輪を行います」とバッハ会長が発表すれば、会場からは拍手と歓声。

(左から)パリのアンヌ・イダルゴ市長、トーマス・バッハ会長、ロサンゼルスのエリック・ガルセッティ市長
(c) Getty Images
正式にオリンピック開催が発表されたロサンゼルスのエリック・ガルセッティ市長は、「今日は本当に独創的な改革だ」と会見で喜びを語った。
「普通はふたつか3つの都市が隅っこで泣いてるものだ。メディアは負けたばかりの者たちと栄光を手にした唯一の勝者に『どんな気分ですか?』と聞いてくる。だが、いまのこの世の中には多くの敗者もいる。夢に向かって進んで、その夢が破れる者も大勢いる。今日はふたつの都市と、その活動や人々にとって夢が現実になり得るというモデルを示すことができたと思う」
候補地の撤退が相次いだ2024年招致合戦
パリで夏季五輪が開かれるのは1900年、1924年に続いて3度目。ロサンゼルスも1932年、1984年以来の3度目でともにロンドンと並び最多だ。
もともと両都市とも2024年大会に立候補していた。しかし2024年の招致合戦はハンブルクが住民投票により撤退、ローマも財政難を理由に撤退、ボストンとブタペストは住民の反対に遭って降りた。
こうした出来事を英国『BBC』などは商業五輪の行き詰まりとして報道してきた。
残った開催地候補はパリとロサンゼルスのみ。IOCは2024年と2028年の2大会同時発表という極めて珍しい作に踏み切り、パリとロサンゼルスで開催順を調整してきた。前回の開催から100周年の記念大会になることや、2024年以降はパリで土地の確保が難しいなどの理由でロサンゼルスが譲った格好で決着。
パリのアンヌ・イダルゴ市長も100周年を強く意識したコメントを出している。
「ようやくここに来ることができた。100年間の時を経て我々はともに改革の道を歩んできて、素晴らしい瞬間を過ごせている。都市の変革を加速させるような着実かつ持続可能な五輪を目指すべきだ。こんにちの歴史的な合意に基づいて未来への準備となるような五輪を」
未来につながる五輪を両都市は示せるか
1984年のロサンゼルス大会は革命的なオリンピックだった。税金を使うことなく開催され、テレビ放映料などで多額の利益を上げた。ここから開催地に重い負担を強いる不人気イベントだった五輪が『儲かる』ものと見直され、商業五輪の歴史が始まったとスポーツ史的には位置づけられる。

ロサンゼルス五輪の開会式
(c) Getty Images
ロサンゼルス五輪が大きな利益を上げた要因には、1932年大会時に建設したスタジアムの再利用などでコスト削減に成功したことや、もともと大都市だったためインフラ整備に必要な資金を抑えられたことも挙げられる。
コスト削減はIOCが求めるところでもあり、いかに少ない予算でコンパクトにかつ見窄らしくなく五輪を開催できるかが今後ますます重要になってくる。
だがしかし。ロサンゼルスのように好条件がそろっている都市は少ない。ほとんどの地域では五輪を開催するとなったら、街を大幅に作り替える規模の工事が必要になってくる。ロサンゼルス大会以後に開催された五輪では、開催費用の膨張が止まらない。
新規にスタジアムや競技場を建設する場合、その施設を大会後にどう維持・運営していくかという問題もある。ここがうまくいかなければ『負の遺産』として後世に残されてしまう恐れもあるのだ。
オリンピックを開催しても箱物だけが増え、経済効果は期待したほどなく、ただ「オリンピックを開催した」という空虚な名誉と重い負担だけが残る。そうした結果を危惧して2024年大会からの撤退が相次いだのだろう。
『未来につながる五輪』を掲げるパリ。かつて『商業五輪』の扉を開いたロサンゼルス。彼らがオリンピックの次の数十年を示せるかも両大会の注目ポイントだ。