新宿三丁目の麺匠「竹虎」でつけ麺をすすりながら、 「ホンマに日本は飯がうまいな。毎食泣きそうになる」とこぼした。
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檜原栄之さん
昨年半年間バックパッカーをしていた僕がハルさんと初めて出会ったのは、2016年8月19日。レスリング女子53キロ級決勝で霊長類最強、吉田沙保里が敗れ、五輪4連覇を逃したあの日だった。
事前にチケットを購入することができなかった僕は、レスリングが開催される会場の前で、吉田沙保里の歴史的瞬間を目撃するべくダフ屋に声をかけ続けていた。結論を述べるとチケットを手に入れることは叶わなかったのだが、そこでハルさんに出会った。
会場前に広げられたマットの上で、甚平を着て無精髭を生やした男性が、習字パフォーマンスを繰り広げていた。
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「何してるんですか?」
「外国人の名前を聞いて、それを漢字に当てはめるんやで。なんなら一緒にやりますか?」
数分後には僕もパフォーマンスに参加していた。約2週間の間、僕はハルさんと、一緒にパフォーマンスをしたもう一人とブラジルを3人で旅することになる。
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ハルさんに日本で再会した時、4年間に渡る旅の話や、世界一周をしようと思ったきっかけを、改めて聞いてみた。
現在32歳のハルさん。25歳までは海外に興味を持ったこともなかったという。海外に興味を持った最初のきっかけは、スノボーに明け暮れていた頃だった。
赤毛のイギリス人に恋したのだ。
白馬のスキー場。2016年時点で担当者に聞いたことがあるのだが、特に人気の高い白馬八方尾根スキー場では、シーズン合計来場者の約20%を外国人スキー客が占めるというから、外国人に会うことはそこまで珍しいことではなかったのかもしれない。
「喋りたくて、喋りたくて。その女の子に恋してからは、スノボそっちのけで英語の復習をして、夜に備えた」
青山学院大学経済学部を卒業したハルさん。「一応大学入試まで英語を勉強したし、大学入学以降全く勉強していなかったが、少しは喋れると思ってたんよ」と楽観的だった。
いざ夜を迎え、赤毛の女の子たち(オーストラリア人の女の子と共に来ていた)の部屋に、友人と突入した。
「そしたら、ホンマ喋れなかった。『少しは英語できるよ』と女の子に伝えていたから、『コイツ実は全然喋れんやん』と笑われた。ショックやって、それが英語を勉強しようと思ったきっかけやったな」
その後、ハルさんは東南アジアを旅行。そこで世界一周をしている大学生に出会う。そこで、「なんや、世界一周って大学生でもやってる奴おるんや。今まで世界一周なんて別世界の住人がやる事やと思ってたけど、俺みたいな凡人にもできるかもしれない。やってみたい」と感じたという。次にしたことは世界一周のための資金を貯めることだった。
2年で600万貯める
資金を貯める手段のメインだったのは、「Apple Store」で販売員として働いたことだ。販売員として雇われるまでの面接のエピソードが印象的だった。
就活をする受験者にとって「説明会」=「一次試験」というのは常識だが、ハルさんは私服で出かけた。本気でただの「説明会」だと思っていたのだ。周りはスーツを着こなした、販売員経験のある人ばかり。その中で、ハルさんと謎のベネズエラ人だけが私服で面接を受けた。相手がAppleだけに、この時だけはハルさんの常識の無さが良い方向に流れた。これが何ともAppleらしい。実際にそれで合格したのだから。ちなみにベネズエラ人の姿をそれ以降見ることはなかった。
Apple Storeの仕事、パチンコ屋の仕事、ホテルのフロント、水商売のキャッチ…。やれることは何でもやった。2日間丸々働いて、1日丸々寝るといった生活だった。2年間泥のように働き、600万円を貯めた。
長い長い4年間の世界一周。アメリカやカナダでは、ワーキングホリデービザを取得しながら、住むように旅をしたこともあった。
「アラスカ→カナダ→アメリカ→メキシコ→ベネズエラ→ブラジル→パラグアイ→アルゼンチン→チリ→パタゴニア→イースター島→ボリビア→ペルー→コロンビア→スペイン→フランス→イギリス→ベルギー→オランダ→ドイツ→オーストリア→ハンガリー→クロアチア→イタリア→スイス→イスラエル→パレスチナ自治区→トルコ→エジプト→カタール→エチオピア→ケニア→タンザニア→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ナミビア→南アフリカ→アラブ首長国連邦(ドバイ)→イラン→ネパール→タイ→オーストラリア→日本」というルート。
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色々なことがあった。
「ハワイで骨は折れ、チリでガス中毒で死にかけ、メキシコではジカウイルスにやられ、南アフリカで強盗に遭い、イスラエルで拘束され、ヨーロッパ、中東では毎日テロに怯え、ペルーとブラジルのアマゾンのジャングルで謎の虫に刺され、アフリカのバス移動ではいつも山賊(武装強盗によるバスジャック)に襲われないよう祈り…」
語りつくせないことばかりだ。
チリで瀕死
ハルさんがこの旅を振り返って、多くの人に伝えたいと思っているのは「できることはできるうちにやらないとアカン。後からできると思っているのは甘い」という教訓だ。
それを最も肌で感じたのは、前述した「チリで死にかけ」た時だった。
チリの宿で、ハルさんは一酸化炭素中毒により病院に緊急搬送された。発見された当時、ハルさんは「全裸で、目を見開いたまま、意識がなく、口から何かを吐いていて、便器に倒れこむように座っている」めちゃくちゃな状態だったという。
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一酸化炭素中毒と言えば練炭・ガス自殺に使われる成分。一酸化炭素中毒を自覚するのは難しく、危険を察知できずに死に至る場合が多い。もちろんハルさんは自殺を試みたわけではない。
宿泊してた宿のシャワーが壊れたため、臨時で設置されたシャワー室でシャワーを浴びていたハルさん。ところが、その臨時シャワー室はガス式で、ガスヒーター、ガスボンベが部屋の中に設置されており、ガスが外に逃げる排気口等もなく、部屋は密閉状態だったのだ。部屋がこんな状態になっているとはつゆ知らず、ハルさんはシャワー中に意識を失い、およそ1時間もの間その状態で生死をさまよったという。
いつまでたっても風呂から出てこないハルさんを不審に思った宿のオーナーと、旅仲間がドアを壊して中に入り、一命をとりとめた。
救急車が来る15分の間、ハルさんは意識がないのに目を見開いたまま。脚はすでに硬直状態にあり、宿のオーナーは「最悪の事態か、助かっても植物人間状態になることを覚悟していた」そうだ。
意識を失っていて、何も事態を把握できていなかったハルさん。意識を取り戻した時、目の前にあるのはなぜか病院の天井。「よかった、本当によかった」と泣き叫ぶオーナー。酸素マスクをつけたまま、「どういうこと?」と疑問符が脳内を飛び交った。
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後から自分の身に起こったことを聞かされたハルさんは、自分が死にかけていた事に気付き、心底震え上がった。泣いた。怖くて寝られなくなった。旅をやめたくなった。
入院しながら、だんだん動くようになる手足。天井ばかりをずっと見ていた。退院後、目に飛び込んだ夕日のあまりの美しさに、涙した。
俺、ホンマに生きてるんやなーって。
「ただの夕日やけどな、俺にとっては世界一キレイな夕日やった。『生きている』って、嬉しいことなんやな。まだまだ何でもできる。死んだらノーチャンスや。生きていれば何でもできるんや。生きているって素晴らしいんやな。できることはできる時にやらなアカン。後からできるって言うのは幻想や」
「自分がおじいちゃんやおばあちゃんになるまで生きてるとみんな勝手に思い込んでいるけど、そうじゃないかもしれない。自分の死期だけは誰にもわかりっこない。それは50年後かもしれないし、10年後かもしれないし、明日かもしれん。チリでの俺のように。死ななかったけどな。でもだからこそ、俺は自分が本当にやりたい事やろうと思った。自分が既に何歳だろうが、人にどう思われようが、言いたい事言って、自分が本当にやりたい事やって、友達と遊んで。自分らしく生きるために。自分が自分であるために」
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人生は選択の積み重ねだ。僕自身、ブラジルのフォス・ド・イグアスで、ハルさんたちとチリに行くか、ボリビアに向かうかものすごく迷った。結局ボリビアに行くことを選択したものの、もしチリを選択していて、シャワーを浴びる順序が変わっていたら意識を失っていたのは僕だったかもしれない。ブラジルを共に旅していた時は、同じ宿に泊まり、交互に同じシャワーを浴びていたのだから。
できることは、生きているうちにやれるだけやっておこうと、僕自身もハルさんの話を聞いて改めて思った。