ちなみに写真の豚首は、かつてインカ帝国の首都として栄え、現在もペルー有数の都市のひとつである「クスコ」の市場だ。
この「奇妙な」光景に観光客はカメラを向けシャッターを押し続ける。多分に漏れず僕も撮影許可を店のオバちゃんにもらった後、スマホを向けパシャパシャとやった訳だが、よく考えたらこれって「当たり前であるべき光景」だな、と宿に帰って思い直した。
日本では、普段口に運ぶ食べ物が、どう殺されて、どう加工されて僕達の元へ運ばれてくるのか、あまりにも見えにくくなっている。
南米の市場では、それが見えやすくなっているだけなのでは。
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そもそも「いただきます」とは、「あなたの命をわたしの命に変えさせて“いただきます”」の意味だという。生き物に対する感謝の念が込められている。
しかし、その食料がどう殺され、売られているのかが見えにくいと、感謝の念も抱きにくいのではないだろうか。
先日、海洋高校に通う男子高校生がツイッターでイカの締め方を実践しながら解説したところ、一部の動物愛護者たちが「イカの気持ちになってください!」「これは虐待ですよ」などと苦情を殺到させたニュースがあった。
イカを締める時の動画です!
— Hiroto/ショアジギ&パズデザイン (@FishHiroto) 2017年5月19日
ご参考までに笑笑 pic.twitter.com/mRL3nsSfFa
これも、生き物が口に運ばれてくる過程がブラックボックスに入ってしまっている、日本の様相を反映させたニュースに思えた。