地元食材を使ったおいしい洋風ランチが楽しめる穴場で、テレビのロケも行われるほどだが、オーナーは自転車ロードレースのツール・ド・北海道で勝利した元プロ選手だ。
■アジア初の世界選手権にも参戦
1988年、当時としては日本最大のステージレースと言われたツール・ド・北海道の第2回大会が開催された。合計5ステージ、総距離567kmの長丁場。滋賀県彦根市に拠点を持つボスコチームは、実業団のシマノやブリヂストンサイクル勢を制して若い橋詰一也が総合優勝した。前年の第1回大会の覇者、高橋松吉も橋詰の初優勝に貢献した。
1980年代終盤までは、日本を拠点としたプロのロード選手なんて存在しなかった。しかし1990年に栃木県宇都宮市でアジア初の世界選手権が開催されることが決まり(トラックは群馬県前橋市)、国内自転車界は大会の花形である男子プロロード選手の育成と強化に着手しなければならない状況に。
そんななかで高橋や橋詰らトップレベルのアマチュア選手が起用され、JPP(ジャパンプロロードプロジェクト)というプロチームを発足させ、ロード層のレベルアップに着手するのだ。まだツール・ド・フランスを日本選手が走るなんてだれも想像できない時代だった。
チームはイタリアを含めた欧州ロードレースを転戦。そこで現地の文化にふれ、プロ選手としてのスキルを高めていった。その結果、本番の1990年世界選手権男子プロロード当日は、宇都宮市と鹿沼市に設定されたコース沿いに全国の自転車ファンが大集結。世界各国のファンも入り乱れて相当な盛り上がりになった。
結果としては市川雅敏と三浦恭資が完走を果たし、今日の礎を作った。橋詰もグレッグ・レモンやジャンニ・ブーニョといったスーパースターとともに激闘に参加した。あの興奮と感動がなければ、1996年のツール・ド・フランスに今中大介が参戦することも、その後のツール・ド・フランスで別府史之や新城幸也が活躍することもなかったはずだ。
■その世界で頂点を極めた人は食文化にもこだわりを持つ
橋詰さんはそんな時代に血と汗を流したプロの自転車選手だった。現役引退後は、先輩格であった高橋さんが拠点とする千葉県に愛着を感じ、一時はそば職人として店舗を構える直前までいった。いくつかのきっかけがあり、JPP時代に欧州で味わった食文化に触発されたこと、現在はともに君津市の店舗を切り盛りする奥さまとの出会いもあって、パスタなどを提供する小さなカフェのオーナーとなる。店舗名はLa patite maison(ラ・プティメゾン)だ。
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森に囲まれた静かなエリアにたたずむLa patite maison
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ランチセットは飲み物付きで1000円ちょっと
それにしても自転車ロードレースで一時代を築いた人は食文化にも敏感で、そこに才覚を現すようだ。神奈川県の大磯には吉田茂、伊藤博文、島崎藤村らがごひいきにしていたという「國よし」という老舗うなぎ店がある。現在は18代目の宮代邦彦さんが店主を務めるが、宮代さんもツール・ド・北海道の黎明期に活躍していた自転車選手。欧州遠征も多くこなし、現地で口にした地元料理やワインなどにも精通し、家業の蒲焼きにも新たな知見を見出して磨きをかけていったようだ。
兵庫県神戸市のパン屋さん「ドンク」でパン作りの神様と言われる仁瓶利夫さんは、自転車選手ではないが自転車を趣味に持つ人で、あるときのツール・ド・フランス取材時にご一緒したことがある。アルプスのラルプデュエズで夕食を一緒にする機会を得たのだが、やはりそこは食文化を極めた人であり、すぐにおいしいレストランを見極め、巧みなフランス語を駆使してその店の絶品を特定する。食のプロって感覚がこんなに研ぎすまされているのかと驚くだけだった。
いずれにしても自転車ロードレースは欧州文化と密接な関係にあって、その世界で頂点を極めた人は食文化にもこだわりを持ち、そして究極を突きとめるべく一生懸命に勉強する。提供される食事がとびぬけておいしいのもうなずける。いちど、君津のLa patite maisonをたずねてそんな欧州文化を味わってみては。
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オーナーシェフの橋詰一也さん。左は筆者