10-12とリードを許したところから、一時は13-12と逆転した太田。だが勝負どころで連続してカウンターを合わせられ、最後も前に出たところに相手の突きが決まった。
北京五輪の男子個人フルーレ、ロンドン大会の男子団体フルーレで銀メダルを獲得し、日本フェンシング界の第一人者として世界で戦ってきた太田。30歳で迎えた五輪で初戦敗退を喫し、試合後は「これで未練なく現役を退けるくらい、すっきりしている」と引退を示唆した。敗因については、「五輪に対する覚悟が足りなかった。勢いとかではなく僕のミス」と振り返った。
太田の敗戦と引退には、「太田引退はショックだなぁ…東京で見たかった」「東京オリンピックまで続けてほしかった」「間違いなくフェンシング界の第一人者。お疲れ様でした」「お疲れさまでした。次のステージでも活躍を祈ってます」「フェンシングというのを一般的にした功績は大きい」などの声が寄せられている。
また、よもやの敗戦にロンドン五輪でともに銀メダルを獲得した三宅諒がツイッターを更新、「皆さん、男子フルーレは負けてしまいましたがフェンシングが負けたわけではありません。引き続き応援お願いします」と今後の競技にも変わらぬ声援を求めた。
皆さん、男子フルーレは負けてしまいましたがフェンシングが負けたわけではありません。引き続き応援お願いします。
— 三宅 諒 (@miyake_fencing) 2016年8月7日