試合直後のグラウンドで行われたセレモニー。場内のビジョンにデビュー間もなかったころからの映像が映し出される。線が細かった新人投手は球界屈指のタフネスを誇る鉄腕エースに成長、アメリカに渡って日本人初の5年連続二桁勝利をマークした。
広島復帰を決めた際の会見が流れると、「広島には僕を待ってくれている人がいる」と話す黒田の姿に感極まって涙ぐむファンもいた。祝福ムードに感動しているのは黒田も一緒だった。
「まさかこういう日を迎えられるとは思ってなかったので本当に嬉しいです。最高のチームメートと、最高のファンの前で、最高のマツダスタジアムで節目の勝利を挙げられて自分自身感動しています。本当にありがとうございました」
プロ野球で200勝を達成したのは日本では26人目、日米通算では野茂英雄氏に次ぐふたり目だ。広島では北別府学氏以来の達成となる。
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ニューヨーク・ヤンキース時代の黒田博樹 (c)Getty Images
■大炎上から始まったプロ生活『あの黒田さんがまさか…』
南海ホークスなどでプレーした黒田一博氏を父に持つ2世選手の黒田。サラブレッドとも言える血統だが、自身は上宮高時代にエースナンバーを手にすることができなかった。
それでも専修大学に進学した黒田は、そこで才能を開花させ最速150キロ右腕へと成長。1996年のドラフト2位で広島を逆指名してプロ入りを果たした。
晴れて父と同じプロ野球選手になったが、新人時代には2軍戦で1イニング10失点の大炎上を喫する。200勝達成のセレモニーではチームメート全員がそのことを弄り、『あの黒田さんがまさか…1イニング10失点@由宇』と書かれたTシャツで記念撮影に参加した。
セレモニー後の記者会見でTシャツについて聞かれた黒田は、「あれは新井の仕返しだと思うんですけど、自分自身もそういうところからのスタートだったのでまさかこういう日が来るとは思っていなかった。アメリカに行ったときからマツダスタジアムでこういう日を迎えるというのは、想像していなかったので嬉しいです」と自身のプロ野球人生を振り返りながら話した。
新井貴浩が2000本安打を達成したときには、やはり『あの新井さんが…』Tシャツで祝福した広島。ベテランふたり相手にも、いまの広島は良い意味で遠慮がない。ベテランと若手が壁を作らず、互いに大きな目標に向かってプレーする。それが今季の広島の強さにつながっているのだろう。
「若い選手がたくさん出てきて彼らのチームになっていると思う。僕らは逆に引っ張ってもらって何とかついて行けてるかなという感じですね」
■真の目標は広島25年ぶりの優勝
大記録達成にも冷静な黒田は、「199勝も200勝も僕の中ではあまり変わらないというか、ひとつの勝ちなので…。ただ節目としては、ここまで来たんだなという気持ちにはなります」と会見で冷静に200個目の勝利について語る。
個人記録については淡々と語った黒田。真の目標は現実味を帯びてきた広島25年ぶりの優勝だ。
「まだまだ、このまますんなり行くとは思ってないですし、苦しい戦いも続くと思うんですけど、今年のチームは僕が20年やってきたなかでもベストのチームだと思います。レギュラーだけじゃなくベンチにいる選手も含めて、本当に素晴らしいチームメートだと思うので、そのチームメートと最後は優勝したい」
セレモニーで着用したTシャツには『あの黒田さんがまさか…』のほかに、もうひとつ書かれていた言葉がある。それは黒田の座右の銘でもある『耐雪梅花麗(梅の花は雪の冷たさに耐え、春に美しく咲き誇る)』だ。
レギュラーシーズン終了まで残り2カ月。まだ冬の寒さのようにつらい逆風が吹くこともあるだろう。それを乗り越えて黒田と広島は美しい花を咲かせられるか。