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【THE INSIDE】野球女子、中学野球部の指導現場を熱く語る 後篇

オピニオン コラム
【THE INSIDE】野球女子、中学野球部の指導現場を熱く語る 後篇
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---:無駄とはどんなところですか?

関口:私はずっと硬式野球だったので、中学校の軟式野球がどういうものか理解しきれていなかったと思います。同じ練習をただ繰り返していただけというか、どうして打てないんだと言いながら、ただ時間が過ぎていたというだけでした。

翌年には野球経験のある先生が1年だけでしたが(指導に)来てくれました。その時に入ってきた生徒たちは、その先生の指導もあったし、センスも高い生徒たちが多かったんですね。

ところが翌年にはその先生がいなくなり、私だけになってしまいました。そこからでした。苦しみましたね…。

---:苦しんだ要素とは何ですか?

関口:自分を大きく見せようとしていたというか、(前の先生と)同じように生徒たちは自分についてくるものだと思い込んでいたんですね。それが間違いの始まりでした。

---:具体的にはどんなことだったのでしょう?

関口:最悪の事態になっていても、最初は私も気がつかないんですよ。だけど、「どうも雰囲気が変だぞ」ということに気がついてからは、正直グラウンドへ行くのが嫌でした。

練習拒否症状というか、嘘をついて「今日は会議があるから、先生は練習を見られません」みたいなこともしていました。それでどんどんチームは崩壊していきました。

---:それは重症ですね。解決策としてどうしたのですか?

関口:いろいろな先生に相談にも行ったのですが、在家中学校の酒井顕正先生からは、「いい指導者のチームと会って、試合をしなさい」と言われました。それで領家中学校の武田尚大先生に、水元中学校(東京都葛飾区)の兼子典行先生を紹介されたんです。運よく練習試合をさせていただくことができたんです。

その時に、兼子先生が戸田中の雰囲気を一目見て、すぐにうまくいっていないと感じられたみたいでした。「野球を知らなくても、野球を知っている指導者のチームが負けることもある。そんなに難しいことではない。いつでも相談に乗る」と言われました。年明けの練習開始に私だけで(水元中の)練習を見学させてもらいました。



---:そこで学んだことが大きかったのですね?

関口:いろんな練習メニューを紹介してもらったんですけれども、それを全部やってみました。それと部活動通信というのを始めるようになって、生徒の活動を写真に撮って「こんなことをやっていますよ」と保護者に伝えるようにしました。

これで「私はこうやって生徒のことを見ています」ということが保護者に伝わればいいなと思っていました。そうしたら生徒たちも少しずつ私を見る目が変わってきたと感じました。

多分、生徒たちは最初、私のこと大嫌いだったと思うんです(苦笑)。それが違ってきましたからね。

---:中学生は13歳~15歳、すごく感じやすい年頃ですよね。その意識をどのように持っていくのかが、一番大事だということですね。それが少しずつ、自分の中でわかってきたということでしょうか。

関口:そうですね。こちらが頭ごなしに言うのではなくて、気持ちを向かせることがいかに大事かすごく実感しましたね。

---:今の生徒たちは、多分ですが、昔の子たちよりもはるかにいい子たちですよ。気持ちを向かせられたら、どんどんついてくるんじゃないですか?

関口:それと学校のカラーによっても違うと思います。それも戸田中は幸いなことに恵まれていると思います。だから、こちらへ向いてくれれば反応は早いです。

---:気持ちを向かせられたら、みんなよい生徒たちだから素直なんじゃないですか?

関口:はい。ただ言われたことはやれるのですが、今度はその先の応用力をまた考えていかないといけないですね。

---:よい子すぎちゃって、というのが次の悩みかもしれませんね。でも、苦しんだ時のことを思えば、それは現場でやっていくうちに発見していくと思います。

関口:そうでしょうね。1年目の自分と今の自分は全然違いますね。今の生徒たちは楽しそうに野球やっていて、それを見ていると可愛いと思えるようになりました。

---:それは指導者として大きな成長だと思います。次のステップを大いに期待したいです。

関口:ありがとうございます。頑張ります。

※ ※ ※

ひとつの悩みをクリアできたことで、自分でも大きく成長したことを実感しているようだ。いきなり現場に出て、何の予備準備もなく、とにかく自分がやってきた野球をぶつけていくのが現実だった。

「自分としては、特に野球部の顧問をやりたいわけではなかった。むしろ女子バレーとか、バスケットとかの顧問になるのかなぁと思っていた」

それが男生徒に野球を教える立場になった。中学野球部で七転八倒してきたことで、指導者としても教員としても新たな発見があったようだ。
《手束仁》

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