新連載【THE INSIDE】100年という節目を迎えた高校野球の起源を振り返る | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

新連載【THE INSIDE】100年という節目を迎えた高校野球の起源を振り返る

オピニオン コラム
高校野球イメージ(東東京大会の予選が行われる神宮球場外観)
  • 高校野球イメージ(東東京大会の予選が行われる神宮球場外観)
  • 甲子園球場イメージ
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  • 高校野球イメージ(東東京大会の予選が行われる神宮球場)
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  • 高校野球イメージ(2015年夏、東東京大会)
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現在の全国高校野球選手権大会の前身となる第1回全国中等学校優勝野球大会は1915(大正4)年8月18日に始まった。

当時、人気が高まりつつあった野球だったが、本格的な全国大会は開催されていなかった。そこで、大阪朝日新聞社が主体となって、全国中等学校野球大会を開催しようということになったのである。

■新時代を担う若者のもの

もっとも、朝日新聞社が主催者となっていく背景には、いくらか会社の事情もあった。というのは、明治以降新時代となって新しい教育制度が普及してきたということもあった。当時は、尋常小学校が4年、その上に高等小学校があった。そして、その上に、5年制の中等学校や商業学校、工業学校などの実業学校が存在していた。

学校制度でいえば、さらにその上に高等学校があって、これは現在の大学よりもはるかに狭き門となっていたのだ。つまり、高等学校から帝国大学へ進学するというのはかなり選りすぐられた人たちという制度になっていた。また、高等学校とは別に私立大学の予備部門としての専門部があった。野球は、当時、そんな時代を担っていくことになるであろう世代の学生たちの間で盛んになっていた。

第一高等学校時代にベースボールに親しんでいた中馬庚が、その技術書を著わそうとした際に、「野球」と訳したのが日本語としての野球の始まりだといわれている。そして、この言葉もマッチしたのか、目覚ましい勢いで野球が普及していった。





■野球で学業がおろそかになる?…世論は野球支持

流行は、若者の世の常である。明治期の若者の間では、野球が目覚ましい勢いで流行していった。一高と三高という時代のエリートを養成する高等学校で対抗戦が始まり、私学の早稲田大と慶應義塾大でも対抗戦が行われるようになっていった。しかし、一方で、あまりの過熱ぶりにその普及を危惧する知識人も現れはじめた。武士道研究者で経済学者でもあった新渡戸稲造もそのひとりだった。

新渡戸稲造は、朝日新聞紙上に論説として「野球害毒論」を掲載した。野球に夢中になるばかりに、本来の学業が手につかなくなるのではないかということや、応援団同士の過熱ぶりなどを挙げて、野球の普及に対して警鐘を鳴らす論を展開した。ところが、これが世論の反発をかうことになった。

「野球は武士道にもつながる礼儀や精神を学ぶことができる」「野球を学ぶことは、教育にもつながっていくことになるはずだ」など圧倒的に野球支持の意見が朝日新聞に対して浴びせられた。

これに反応した朝日新聞は、即刻野球害毒論を取り下げ、一転、野球擁護論を掲げた。「野球は多くの若者の心身の健全な発達を促進するために必要なものであり、修行にもつながる精神的な要素も強い」というような論調である。





■高校野球は時代を映す

そして、さらに朝日新聞社はその機運を盛り上げるために、全国規模の中等学校野球大会を開催しようという運びになった。決定から開催までの期間が短かったということもあって、現在のような形で全国一斉に地区大会を開催して、その優勝校が参加するという形にはなりえなかった。すでに、地区大会を終えているところでは、その大会の優勝校を自動的に参加させるということになった。

こうして、第1回全国中等学校優勝野球大会が開催されたのである。以降は、1918(大正7)年に米騒動によって第4回大会は代表校が決まっていながら中止となったことがあった。また、1941(昭和16)年12月8日に勃発した太平洋戦争で、戦火が悪化していく中で4年間の中止という不幸な歴史もあった。

しかし、戦後いち早く復活した中等学校野球大会は、1947(昭和22)年の学制改革を経て、翌年からは全国高校野球選手権大会として開催。1948年が、第30回大会となり、戦後復興を後押しする形にもなった。学校制度も、男女共学が実施されていくようになり、新しい時代の象徴として、高校野球が大きな位置づけを占めていくことにもなった。

また、その年には、現在にも歌い続けられている大会歌『栄冠は君に輝く』が制定された。歌詞は公募されたが、当時としては異例ともいえる、5000通を超える作品の中から選ばれた詩に古関裕而が曲をつけた。実は、この大会歌の制定にも、隠されたストーリーが秘められていた。

こうして、高校野球は100年の歴史を継承しながら、今日さらなる隆盛を迎えようとしている。
《手束仁》
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