栄蔵室(えいぞうむろ)にある富士見の展望台で休んでいたときのこと。素敵なご夫婦が筆者たちのあとからやってきた。
ご夫婦の出で立ちを見て「ははぁ、これは山を歩き慣れているな」と勝手に推測し、「けっこう山には登られるんですか?」と質問をしてみる。せっかくの山での出会いだから、妄想を膨らませるだけではもったいないと、思い浮かんだ言葉をそのまま口に出す。
「久しぶりですよ」とご主人が答える。その口ぶりから、最近は登ってないにしろ、過去にはあれこれと有名無名問わずに山々を踏破してきたのであろうことを匂わせた。
その後、友人Nと筆者、そして、素敵な登山夫婦の4人でしばし雑談を交わす。
筆者 「花園山まで歩きたいんです。行きました?」
ご主人「いえいえ。行かれるんですか?」
筆者 「はい。ここだけじゃちょっと歩き足りなくて」
ご主人「ははぁ、じゃあ奥ノ院峰まで行かれてはどうですか?」
筆者 「奥ノ院峰?(そういえばそんな名前が本に載ってたな) 近いんですか?」
ご主人「ちょっと歩けばつきますよ」
ここで、ご婦人が割って入る。
ご婦人「あなたのちょっとは、ちょっとじゃないですからね。いつも、あとちょっと、もう少しって言われるけど、全然ちょっとの距離じゃないですもの」
すると、友人Nも身を乗り出す。
「そうそう、こいつ(筆者)も同じですよ。あとちょっととか言うくせに、全然ちょっとじゃない。いつも騙されるんですよ」
図らずも、Nとご婦人が意気投合したとき、筆者も密かにご主人と意気投合していた。ここに、ふたつの「共感」が生まれたのである。
たしかに、筆者も初心者Nと登るときは、その手法をよく使う。すぐに疲れただの帰るだのと抜かすNを励ますのに、「もうちょっと、あと少し」という言葉を投げかける。その言葉に、さほどの根拠はないが、悪意はある。
例えば、ハイキングマップに現在の場所から頂上まで40分と時間が出ていたとする。その場合、「あと40分」と言うとNには長く感じられるだろうから、「あとちょっと」と濁して言う。そのように言っておけば、Nのやる気を損なわずに済む。
また、「あとちょっと」などの言葉は、曖昧な量を示しているから、だましのようでだましではない。感覚的な問題であるから、人によってその量は異なってくる。筆者やご主人にとっての「あとちょっと」と、Nやご婦人にとっての「あとちょっと」では、その数量に大きな差が出るのだ。
ちなみに、ご主人に展望台から栄蔵室の山頂まであとどれくらいかを聞いてみたところ。「すぐそこですよ」という言葉が返ってきた。なるほど、登ってみると本当に「すぐそこ」だった。
この場合「あとちょっと」よりも、「すぐそこ」がしっくりとくる。だが、「あとちょっと」でも間違いではない。やはり、感覚的な問題である。
このようにして、初心者Nをだましだまし低山に登る筆者であった。
《久米成佳》
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