熊野神社と書かれた鳥居をくぐり、長くて急な階段を登る。山の神社へと続く階段は、どうしていつも急なのだろうと思う。
頂上の小さな神社の先にある突き出た岩頭に立つと、壮大な景色が広がっていた。岩先に立ち、すーっと息を吸い込む。そして、大きな叫び声をあげた。
わあー!
すると、わあー、わあー、わあー、わぁーと声が返ってきた。山彦である。
ここ数年、山に登るようになっていくつものピークを踏んできた。だが、山頂で叫び、山彦が返ってくるという現象には縁がなかった。どうしてかというと、そのような気分にならなかったからでしかない。中には熊野山頂よりも素晴らしい景観の山もあったのだが。熊野山頂には、思わず叫び声をあげたくなる雰囲気があった。
目の前に広がる奥久慈の山の風景をに見ながら、昼食を食べる。ふと後ろを振り返ると、男体山の岩稜が見えた。そして、岩稜の手前に、もうひとつ小さな山の姿を確認した。熊野山の山頂近くに、「高塚山」と書かれた道しるべがあったことを思い出す。
まだ歩き足りない筆者は、熊野山を下山した後、近くの盛金富士に登ろうと思っていた。だが、初心者の友人はすでに満足しきっていて、もう一山登るのは億劫そうである。
「見ろ、あそこに山が見える。これから盛金富士に行くのと、あの山を登るのどっちがいい?」
疲れが見える友人に、究極の選択を迫る。「このまま下山して帰る」という選択肢はない。はぁ? まだ登るの? とげんなりした表情を見せる友人に、どうにかしてもうひと山登りたい筆者は更にひと押しを加える。
「あそこまで登れば、もっといい景色が見られるぞ(たぶん)」
そうだな、と友人は筆者の何の確証もない提案を鵜呑みにした。ちなみに、筆者は熊野山に登ったのも初めてであったし、高塚山なる山の名前も知らなかった。
しめしめと思い、高塚山に向かって歩き出す。登山道は熊野山とは違い、いささか荒れている。道しるべも、うっかりすると見逃してしまいそうになる。
登山道を抜けると、アスファルトの舗装路に変わり、熊野山から見えた電波塔が現れた。ここが頂上かと思いきや、ガードレールに「上高塚山」と書かれた道しるべを発見する(下高塚山もあるらしいが、いつの間にか通りすぎていた)。そのまま道なりに歩くと、上高塚山の頂上だ。
頂上には、三角点と「上高塚山 369.9m 」と書かれた看板があった。そして、熊野山よりも壮大な風景が…広がってない。周りは樹木で視界を塞がれ、すぐ近くにあるはずの奥久慈・男体山すらまるで見えない。
「なんじゃこりゃ~!」
景色のよさを期待してここまで登ってきた友人は、松田優作ばりの叫び声をあげた。当然、山彦が返ってくるはずもなかった。
《久米成佳》
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