【山口和幸の茶輪記】報道スピードは超進化したが、沿道の雰囲気は変わらない | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】報道スピードは超進化したが、沿道の雰囲気は変わらない

オピニオン コラム
グレッグ・レモン(1990年)
  • グレッグ・レモン(1990年)
  • ミゲール・インデュライン(2005年)
  • グレッグ・レモン(1989年)
  • ローラン・フィニョン
  • エディ・メルクス
  • ベルナール・イノー
  • ジャック・アンクティル(右)、レイモン・プリドール(左)
ツール・ド・フランスをボクが初めて取材したのが今から25年前の1989年。自転車雑誌サイクルスポーツの編集者として現地に派遣され、最終日のパリ・シャンゼリゼでグレッグ・レモンが50秒差を大逆転したという、歴史的な瞬間を目撃した。

当時は派遣カメラマンが撮影済みのポジフィルムを持ち帰り、現像して写真選び。同時進行で原稿を書いて入稿し、1か月半して誌面ができあがった。現場に現像道具を持ち込む外国人カメラマンや、電話を駆使した口述筆記で原稿を送る地元記者、タイプライターの音を響かせるベテラン記者らがその当時はかなりいた。

レース展開はプレスセンターのモニターを見ながらメモするか、ゴール後しばらくして配布される紙のレポートをチェックするか。当初はフランス語だけだったが、2000年台になって英語表記が追加された。フランス独自の情報システム「ミニテル」も登場し、プレスセンターへの到着が遅れても小箱のようなミニテルを操作すると、白黒モニターにレース展開が表示された。当時はそれが画期的だと驚いた。

日本人記者として初めて、ボクが原稿をメールで送るようになったのは1997年前後から。雑誌は帰国してから原稿を書けばよかったが、日刊のスポーツ新聞は即座に送る必要があったからだ。すぐに写真も添付で送信するようになる。あっという間にインターネット時代になり、ミニテルは死滅。公式サイトも充実し、現在ではプレスセンターに提供される情報と同じものをファンが世界中で確認できるようになった。

こうして報道の世界は急速に高速化。記者はプレスセンターだけでなくクルマの中や木陰でパソコンをたたいて原稿を送稿。カメラマンは撮影した現場で携帯端末を介して画像を送信する。いやはや、もう目が回りそうだ。機材の高速化が現場記者のゆとりを奪ったともいえる。

そんな高速ツールだが、白黒時代と変わらないのは沿道ののんびりとした雰囲気だ。優雅なバカンスの1日を費やして家族や仲間と一緒になって楽しむ。四半世紀前とそれだけは同じ。そんな彼らの姿を見ると、ちょっとだけホッとするのである。
《山口和幸》

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