歩きながら、ふと思う。
私は山に登りながら、何を考え、何を思っているのだろうか。登山の際は、大抵誰かしら同行者がいるので、登山中はその人との会話が主である。しかし、今回のように一人の場合は。
山に登って何を考えているかを考えながら歩いていると、友人を山に連れてきた時のことを思い出した。
一人は、今後の進路について悩む若者。また、別の機会には、恋愛について悩む女友達を連れて山に登ったことがある。どちらも「悩んでいる」ようであったから、それなら山に登ろう、そうすればモヤモヤした気持ちも晴れるはず、そういって、二人を山に誘ったのであった。
実際に、山に登った後、進路について悩む若者は進路を決め、恋愛について悩む女友達は結婚を決めた。山にはそのような力があるのかもしれない。閉ざされた道を切り開くような力が。
そういえば、かくいう私もモヤモヤしていた。私は、まさに人生の岐路に立たされていた。はっきりいって、山になど登っている場合ではなかった。その問題について、もっと深く考えるべきではないかと、モヤモヤした気持ちを更にモヤモヤさせていると、長長坂(ちょうちょうざか)を迎えた。
常願寺コースでは、尖浅間と宝篋山の縦走が楽しめる。長長坂は、尖浅間の山頂間近にある名前通りの長い坂で、角度もそこそこあり、私は登る度にひいひい言っている。この日も例外ではなく、息も絶え絶えに長長坂を登った。
長く急な坂を登っていると、いつの間にか思考することを止めていた。山に登ることだけに、意識を集中させていた。それに気付いたのは、尖浅間の山頂の岩場に立ち、下界の景色を眺めている時であった。
山に登る時は、山のことだけを考えればいい。余計なことは何も考えなくていい。というよりも、山以外のことなど考えられないのだ。
《久米成佳》
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