【スポーツビジネスを読む】モンストからバスケへ 田村征也・千葉ジェッツふなばし代表取締役社長 前編 就任一年目で悲願の初優勝 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【スポーツビジネスを読む】モンストからバスケへ 田村征也・千葉ジェッツふなばし代表取締役社長 前編 就任一年目で悲願の初優勝

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【スポーツビジネスを読む】モンストからバスケへ 田村征也・千葉ジェッツふなばし代表取締役社長 前編 就任一年目で悲願の初優勝
  • 【スポーツビジネスを読む】モンストからバスケへ 田村征也・千葉ジェッツふなばし代表取締役社長 前編 就任一年目で悲願の初優勝

2017年、18年、19年と天皇杯 全日本総合バスケットボール選手権大会を3連覇、Bリーグ発足時から「強豪」、「4強」の一角とされながら、リーグでは2017-18、2018-19シーズンとチャンピオンシップ決勝でアルバルク東京の前に屈し、Bリーグの頂点に立てずにいた千葉ジェッツふなばしは2020-21 シーズン、悲願の初優勝を成し遂げた。

田村征也千葉ジェッツふなばし社長が就任したのは2020年7月。つまり、Bリーグ発足後、なかなか届かずにいた初優勝を就任一年目にして成し遂げた。もちろん社長ひとりの手腕で優勝を為せるほどスポーツは甘くもなく、また島田慎二・前会長、米盛勇哉・前社長ら前任者の尽力、シーズンを通して戦い抜いた選手、それを支えたチームスタッフの努力があってこそ、その結果ではあるものの、いったいいかような手腕を発揮したのかは、スポーツ界の者ならずとも気になるところ。千葉県船橋市役所近隣の事務所にお邪魔し、話を聞いた。

◆【インタビュー後編】モンストからバスケへ 田村征也・千葉ジェッツふなばし代表取締役社長 金満球団のレッテル払拭に苦心中

■ミクシィから千葉ジェッツふなばしへ

田村さんは、キャリアのスタートからスポーツビジネスに縁があったわけではなかった。和製SNSが全盛だった2009年、新入社員として株式会社ミクシィに入社。そこで広告営業を担当した。まだスマホの普及前、メインはPCやガラケー上での純広告のセールスだったという。

その後、SNS mixi上でプレーできるゲームを調達すべく、プラットフォーム事業へと異動。ゲームのディベロッパー的役割も担った。その後、マーケティング寄りの業務にも従事した。

この頃、業績が厳しくなり、社は課金をメインにしたビジネスモデルに転換を図る。2013年、人気ゲーム「モンスターストライク」のリリースに際し、マーケティング部長として、アプリでの集客のほか、YouTubeを活用、TV CMをオンエアなどマスマーケティングにも打って出た。また、ユーザーのロイヤリティを高めるために、大規模なリアル・イベントも展開。これが2日で4万人を集めるほどに成長、社会現象として注目を浴びる結果に。

この展開が、のちにスポーツビジネスに活かされるとは、この時点では想定していなかった。

ONLINEからリアルへ、もちろんイベント運用を手掛けるからには、チケットの販売、物販を手掛ける運びとなる。すべてミクシィとしては初めての試みだった。さらに「ライセンス・アウト」を実践。3DS版モンストを作るなど、ビジネス領域は広がって行った。

この頃、執行役員およびライブエクセリエンス事業本部長として、XFLAGブランドの成長に取り組み、eスポーツのプロ化についても取り組む。これが結果的にスポーツ領域に踏み込むきっかけとなり、スポーツ事業本部本部長という役職に。ここでFC東京東京ヤクルトスワローズのスポンサー活動にも尽力した。

「ゲーム内の課金をメインとして来ましたが、ゲームをIP(インテレクチュアル・プロパティ)と捉え、それを中心とし周辺360度ビジネスについて考えると、芸能やスポーツに似通って来ます。ゲームをスポーツに置き換えた際、ゲームと同じビジネスをスポーツでも活かせるのではないか……という方針に至りました」と社としての展開を解説する。

チーム事務所にて取材に応える田村社長 撮影:SPREAD編集部

千葉ジェッツとの提携から資本関係により2020年7月、代表取締役に就任。完全にスポーツビジネスに軸足を移すに至った。しかし、もともとはスポーツ好き。

「小中高とサッカーをやっていました。出身が長野なものですから、社会人になっても夏はサッカー、冬はスノボ、そしてバスケットボールも好きなんです。ゲームは6年も担当してきて『そろそろ新しい挑戦をしたい!』と思っていたところ、社内でリアル・ビジネスを展開した経験を持つ人材があまりいなかったので、白羽の矢が立ったのかと思います」。

■スポーツの魅力を『すごい!』と再確認

スポーツの魅力については、ビジネスとして手掛けた際、さらに再認識したと語る。

「FC東京やスワローズのスポンサーを手掛けた際に、スポーツそのものを『すごい!』と感じました。チケッティングで人を呼び、グッズを販売し、ファンクラブを大きくしていく、ゲームと同じ『ファン・ビジネス』と捉えてはいました。しかし、ゲームはファンを飽きさせないために、開発の連続なんです。しかも、うまく行かないと遊んでもらえない。ゲームの内容そのものを常にアップデートする必要があります。ところが、これをスポーツに置き換えると、100年以上ほぼ同じルールで変わらない。同じ競技性にもかかわらず、ファンを飽きさせない熱があります」と目からうろこだったと言う。

「ひとたび、チームのファンになった際、応援してくれる熱量は非常に高いと感じます。エンタメに近い要素もありますし、半永久的に好かれるのがスポーツ。モンストで多くのファンを抱えるようになった現象を活かしスポーツでもファンを獲得できればと考えています」。

Jリーグもプロ野球もスポンサーという形での関与だったが、Bリーグにおいて経営に参画するに至った決め手はなんだったのだろうか。

「野球は60年以上、サッカーも30年に対し、プロのバスケットボールリーグは3年という、まだ入り口にありました(参入検討時)。まだまだ参入に足る余地がありますし、アメリカの地域密着型のスポーツを想定すると、千葉ジェッツふなばしは、まさにそのモデルケースになるのではないかと考えました」とリーグ初期から参画できる点は大きな魅力だったようだ。

船橋市周辺は200万人の商圏と見込む 撮影:SPREAD編集部

船橋市だけで60万人、周辺の習志野市、八千代市、市川市、松戸市などまで合わせると200万人の商圏です。その中で5000人の観客ですから、まだまだ伸び代が残されています。また船橋は、もともとバスケ文化の土壌があります。実は、「ミニバス(小学生を対象としたミニバスケットボール)」の隆盛の地は、船橋という説があるくらい、各小学校にはバスケ部があったり、ママさんバスケもすごく盛んで、バスケットボールを楽しむ方たちがとても多いのが特徴です」。田村さんはこうした土壌も、千葉ジェッツふなばしが根付く要因だったと睨んでいる。

■スポーツ界に求められる人材とは

SNSそしてモバイルゲームの現場からスポーツ業界へと戦場を「転進」して来た田村さんに今後、スポーツ界に求められるだろう人材についても訊くと……。

「そもそも漫然と入りたいでは難しいと思います。何をやりたいのか目標をもつこと。昔は体育会経験のある方なら、朝から晩まで働く体力勝負……という意味合いでもスポーツビジネスに従事できたかもしれません。現在は、クラブのビジョン、理念と親和性が高く、そこで何ができるのか。また、デジタルでの展開も必要な時代なので、ITに強い方、エンジニアの方とかがいるとよりスポーツも変わっていけると感じます。現在、ジェッツもミクシィから支援を受けていますが、『スポーツ×エンジニア』という部分においては、非常にニーズが高いのではないでしょうか」と人材ニーズについての意見は明快だ。

今後、スポーツの仕事を模索する上では、やはり「スポーツ×デジタル」という領域での活躍が望まれるのかもしれない。少なともこの業界を目指す方は、ITリテラシーを高めておく必要がありそうだ。

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

《SPREAD》
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