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20世紀、日本人にとってMLBオールスターは、あまりにも遠い存在だった。
1964年、つまり第1回東京五輪が開催された年、村上雅則という若者がサンフランシスコ・ジャイアンツから「ひっそりと」MLBデビューを果たした。彼は日本人初、アジア人としても初のメジャーリーガーだったが、そんな事実さえ日本球界では長い間忘れ去られていた。
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■激動の時代に、野茂英雄がメジャーデビュー
20世紀も残りわずか、世紀末の1995年、またひとりの若者がメジャー・デビューを果たした。野茂英雄だ。村上の登板など忘れ去られていた時代だけに「日本人はメジャーで通用するのか」という議論を巻き起こした。前年、MLBはストライキによりシーズン打ち切り。1903年に始まったワールドシリーズは2度の世界大戦中も中断されることなく開催されて来たにも関わらず、前代未聞の未開催。アメリカの野球ファンからは、「金持ちのいがみ合い」とそっぽを向かれた。
アメリカにおける野球人気凋落を救ったのが野茂とさえ言われる。
野茂のデビューもまた、後の松坂大輔や田中将大のそれを比べると少々ひっそりとしたものだった。近鉄バファローズとの契約がこじれ、自由契約となって海を渡った。島国根性たっぷりの日本球界からは、まるで裏切り者扱いされる始末。当時「メジャーでなぞ、通用しない」という論調が大半だった。
■「通用するのか」を飛び越え一気に「オールスター」
ストの影響や初めて尽くしの契約により、野茂の公式戦デビューも5月2日と遅く、そこから約ひと月、勝ち星にも恵まれなかった。ところが6月2日のニューヨーク・メッツ戦で初勝利を上げると、前半戦で6勝1敗防御率1.99という抜群の成績を挙げ、オールスター出場を決める。このひと月の野茂の活躍は「彗星のごとく」現れたという言葉がぴったりだった。6月だけに限れば6勝で土付かず、防御率0.89という驚異的な数字で月間MVPとなった。
「通用するのか」が、またたく間に「オールスター」だ。ナショナル・リーグの先発はこの1995年まで4年連続サイ・ヤング賞を獲得することになるアトランタ・ブレーブスのグレッグ・マダックスと見られていたが、球宴直前に故障者リストに。かくしてナ・リーグの先発は野茂となる。対するアメリカン・リーグは、この年から5度のサイ・ヤング賞獲得したシアトル・マリナーズの背番号51、ランディ・ジョンソン。
この投げあいを目撃することのなかっただろう、今の若い野球ファンが不憫でならないほど。
今日の大谷翔平を眺めるように、ニューヨークの自宅にて大興奮しながら見入ったものだ。
■MLBオールスター日本人初先発で快投披露
野茂は先発として2回を投げ3奪三振無失点被安打1。ア・リーグのラインナップは1番からケニー・ロフトン、カルロス・バイエガ 、エドガー・マルティネス 、フランク・トーマス 、アルバート・ベル 、カル・リプケンJr. 、ウェイド・ボッグス 、カービー・パケット 、イバン・ロドリゲス。「I-Rod(ロドリゲスの愛称)」が9番という驚異の打線を相手に……だ。特にこの年のホームランダービーを制したトーマスとの対戦など、今年のお祭りムードなどと異なり、まさに手に汗しながら見守った。
もっともイキり切って見ていたのは、ファンだけだったかもしれない。オールスターのグランドで、日本では見ることができなかったほど満面の笑みで楽しむ野茂が、ひどく印象に残っている。
■未だ破られていない野茂の“MLB記録”
その後、ダルビッシュ有、岩隈久志、上原浩治、田中らが選出されたものの、大谷が出場するまで、日本人のオールスター先発投手は野茂ただひとりだった。もっともダルビッシュのケガさえなければ今年、「ダルビッシュvs大谷」という日本人先発投手同士の投げあいも可能性があっただけに、少々残念だ。
球宴開催となったデンバーのクアーズ・フィールドは標高約1600mにあり、かつてロッキーズに所属した吉井理人は空気が薄いため「頭が痛くなって困る」とコメントしていたほど、打球が飛ぶことで知られるが、1995年の開場以来、このスタジアムでノーヒットノーランを達成した投手も、野茂ただひとりだ。
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■日本人メジャーリーガーの系譜を引継ぎ、ついに大谷がオールスターの舞台へ
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エンゼルス・大谷翔平(C)Getty Images
日本人でオールスターと言えば、やはりイチローだろう。彼もまたパワーヒッター全盛の2001年にメジャーデビュー。「日本人バッターは通用しない」と揶揄された時代に、その超人的なバットコントロールとスピード、さらに「AREA51」とまで呼ばれたその守備で、すぐさまメジャーファンを虜にし、新人ながら両リーグ最多の337万票以上を獲得し、出場を決めた。以降ファン投票選出9回を含む10年連続で出場を果たした。
2007年にはメジャー球宴史上初のランニングホームランを放ち、オールスターMVPに輝いた。これはまだ「記憶に新しい」と思っていたら、もはや14年も前の出来事だった。日本人メジャーリーガーなど皆無だった昭和を知る者として、このイチローのMVPを含め、リーグチャンピオンシップMVPの上原、ワールドシリーズMVPの松井秀喜、最多勝投手のダルビッシュなど夢のまた夢のような気がする。
さて、こうした鮮烈な記憶を残した日本人メジャーリーガーの系譜を継ぎ、大谷は明日「1番DH・ピッチャー」として野茂以来オールスター先発登板する。ホームランダービーでは再延長の末、惜しくも1回戦敗退となったものの、明日はいったいどんな活躍を魅せてくれるのか、世紀の舞台での活躍を目に焼き付けたい。
著者プロフィール
たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー
『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。
MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。
推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。
リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。
著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。