彼女らの旅は、テキサスの倉庫で、間に合わせの木製そりで練習するところからはじまった。1988年のカルガリー大会に出場して1993年のハリウッド映画『クール・ランニング(Cool Runnings)』の題材として有名になったジャマイカチームのアフリカ版としても、耳目を集めている。
◆ クラウドファンディングで資金を募った。
ナイジェリア人の両親のもと、米国で生まれたセウン・アディグン選手は、2012年ロンドン夏季オリンピックの100メートルハードルに参加したスプリンター。2014年のソチオリンピックを見てボブスレーに興味を持ち、仲間を誘ってチームをつくった。
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「夢、いや、それ以上が叶ったわ」
こうCNNのインタビューで語ったアディグン選手。練習やレースに必要な7万5000ドル(約807万円)の資金をクラウドファンディングで募り、練習に励んできた。
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◆ 「不可能なことなんてない」
20日に行われた前半の1、2回戦では最下位だったが、アディグン選手は「リスクを取ることを恐れないで。不可能なことなんてないのだから」と誇らしげに呼びかけた。本日21日にも彼女らは再び登場する。
アディグン選手はすでにヒューストン大学の運動健康科学の修士号を取得しているが、現在はテキサスカイロプラクティックカレッジ(TCC)の学生でもある。(平昌オリンピック公式ホームページより)
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「私は医者か、アスリートのためのカイロプラクティック(筋骨格系の障害とそれが及ぼす健康全般への影響を診断、治療、予防する)の専門家になりたい。スポーツは続けるが、怪我の予防、リハビリ、運動生理学などの分野を専門にしていきたいの」
子どもの頃、男子プロバスケットボールリーグ、NBAで初の女性選手になることを夢描いていた少女は、アフリカ初の冬季オリンピックに参加したボブスレー選手として歴史に名を残した。