【THE REAL】セレッソ大阪・清武弘嗣の決意…4年半ぶりに復帰した古巣へ「感謝」を伝えるために | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】セレッソ大阪・清武弘嗣の決意…4年半ぶりに復帰した古巣へ「感謝」を伝えるために

オピニオン コラム
清武弘嗣
  • 清武弘嗣
  • 清武弘嗣 参考画像(2016年11月15日)
  • 清武弘嗣 参考画像(2016年11月15日)
  • 清武弘嗣 参考画像(2016年8月14日)
  • 清武弘嗣 参考画像(2016年8月20日)
  • 清武弘嗣 参考画像(2016年3月12日)
  • 清武弘嗣 参考画像(2016年5月7日)
■閃きに導かれたヘディングによる先制弾

理屈では説明できない“勘”に導かれて、背番号46はニアサイドへ近づいていった。セレッソ大阪が獲得した通算6本目の左コーナーキックを前にして、MF清武弘嗣は脳裏に閃くものを感じていた。

「本当にたまたまですけど、あの一本だけ来るんじゃないか、と思ってニアに入りました」

大宮アルディージャのホーム、NACK5スタジアム大宮に乗り込んだ20日のJ1第12節。夏を思わせる汗ばむ陽気のなか、両チームともに無得点で迎えた後半18分に試合が動いた。

直前の14分と15分にも、セレッソは連続してコーナーキックを獲得している。左だった前者は清武が、右だった後者は左利きのDF丸橋祐介がいずれも弧を描き、相手ゴールに迫るキックを蹴っていた。

翻ってボールをセットするソウザは前半33分に左側で獲得した、最初のコーナーキックも担っていた。このときは相手がニアサイドに立たせる、ストーンと呼ばれる選手の頭上を越えて鋭く落ちる軌道のキックを蹴っている。

「監督からは『相手のストーンの選手を越すように』と指示されていた。なので、ストーンとゴールキーパーの間に、速いボールを入れることだけを意識していた」

こう語るソウザは尹晶煥監督の指示を完璧に実践できる、正確無比なコントロールを右足に宿していた。相手にクリアされたものの、前半33分の場面でもニアサイドへ絶妙のボールを蹴っている。

加えて、後半18分の場面では身長167センチとやや低めのMFマテウスがストーンを務めていた。あらゆる状況が清武の察知能力をフル稼働させ、普段はポジションを取らないニアサイドへと誘ったのだろう。

「そうしたら、本当にすごくいいボールが来て。ストーンを越えて、落ちてきたボールに合わせるだけでした。あの一本しか僕は中に入っていないので、運もあったのかなと思う」

アルディージャの守護神・塩田仁史、危険を感じて戻ってきたDF河本裕之と空中でもつれながら、清武が頭をボールにヒット。最後は清武の執念が勝り、3‐0の快勝への序曲となるゴールが生まれた。

■交渉の破談を覚悟していたセレッソ社長

ブンデスリーガのニュルンベルクとハノーファー、リーガ・エスパニョーラのセビージャをへて、約4年半ぶりにJリーグでプレーしている今シーズン。清武は「感謝」の二文字を心に刻んでいる。

セビージャからセレッソへの完全移籍が決まったのは2月1日。ヨーロッパの冬の移籍市場が閉じたのは、時差の関係もあって同日の午前8時。その直前、まさにギリギリのタイミングで交渉がまとまった。

交渉の行方がわからないままスペインを飛び立ち、ドイツ経由で帰国する便の機上の人となっている間に電撃的に決まった移籍。翌2日に羽田空港に降り立った清武は、偽らざる思いを言葉にしている。

「不安はあったし、ドキドキもしていたけど、セレッソがすべてを出してやってくれているとも思っていたので、少し安心している自分がいたのも本音です」

昨夏に加入したばかりの強豪セビージャで、シーズンの序盤にホルヘ・サンパオリ監督の構想から実質的に外れた。自問自答を繰り返したなかで、日本への帰国が選択肢のひとつとして浮かんできた。

苦渋を味わったセビージャ在籍時代
(c) Getty Images

もし日本へ戻るのであればプロの第一歩を踏み出した大分トリニータではなく、2010シーズンから2年半在籍し、清武をして「最もサッカーの楽しさを感じた」と言わしめるセレッソだと心に決めてもいた。

清武サイドの動きをキャッチしたセレッソは、年が明けてからセビージャへ正式なオファーを出した。しかし、先方の反応が鈍い。提示した違約金が、セビージャが設定した金額を大きく下回っていたからだ。

セレッソは違約金の後払いや分割での支払いを含めて、セビージャ側と粘り強く交渉を重ねた。それでも平行線をたどる状況が続いた1月下旬には、セレッソの玉田稔代表取締役社長は半ば破談を覚悟していた。

「話が進まない、これはダメだなと。こちらの提案を、先方がなかなか飲み込んでくれませんでしたので。違約金の金額もそうですけど、ウチもお金があるわけでもないので」

■ヤンマーの後押しで成立した電撃移籍

絶望的な状況を劇的に変えて、急転直下での清武加入を成立させたのはセレッソのメインスポンサー、ヤンマーの後押しだった。玉田社長もまた感謝の思いを込めながら、期限直前でのやり取りを振り返る。

「ヤンマーさんの支援が一番大きかったですね。清武がセレッソに戻りたがっている、と察していただいたうえで『ぜひとも応援しましょう』と言ってくださったので」

当初は600万ユーロ(約7億2000万円)で設定されていた違約金は、最終的に500万ユーロ(約6億円)で落ち着いたとされる。セレッソがヤンマーから借金するかたちで工面したわけだ。

清武が背負っている「46番」を見れば、加入がいかに予期せぬ事態だったかがわかる。司令塔の清武は当初「10番」を考えたが、すでに決まっていた新体制下で日本代表のボランチ・山口蛍に託されていた。

ハノーファーでも同僚だった山口蛍
(c) Getty Images

一度登録された背番号は、シーズン中は変更できない。ならば一の位と十の位を足して「10」になる「55番」を考えたが、Jリーグが定める上限が「50番」のために断念。最終的に「46番」を選択するに至った。

クラブのOBで新任の尹晶煥監督がチーム始動時に描いた構想に入っていなかった自分を温かく、しかも多額のお金を借り入れてまで迎え入れてくれた。清武の心に「感謝」の二文字が芽生えないはずがない。

羽田空港から国内線を乗り継いで向かった2月2日の大阪伊丹空港。面識のなかった玉田社長を人混みのなかから探し出し、駆け寄っていった清武は「社長、ありがとうございます」と頭を下げている。

一夜明けた2月3日には、大阪・北区のヤンマー本社をスーツ姿で訪問。高額の違約金を捻出してくれたことに感謝の思いを伝えて、キャンプの宮崎でセレッソの仲間たちと再会を果たした。

サッカー選手にとって、感謝の思いを表現する場所はピッチしかない。3年ぶりにJ1の舞台に戻るセレッソに勝利をもたらし、まだ手にしたことのない悲願の初タイトル獲得へと導く。清武の決意は固まった。

■日本独特の硬いピッチを乗り越えて

ヨーロッパと比べて、日本のピッチは全般的に硬いという。2011年1月からドイツやトルコでプレーし、今年3月下旬に柏レイソルに電撃的に加入した元日本代表のMF細貝萌からこんな言葉を聞いた。

「日本に帰ってきてから、足にマメができはじめました。ドイツではピッチが硬いと思ったこともなかったし、そのことを話したらキヨ(清武)も『ようやく慣れてきた』と言っていました」

ヨーロッパのピッチに順応していた分だけ、左右の太ももが悲鳴をあげかけたのか。開幕から2試合とハリルジャパンから戻った直後の2試合、計4戦を清武が欠場したことと決して無関係ではないだろう。

ハリルジャパンでの躍動
(c) Getty Images

本人も忸怩たる思いを募らせていたのか。先発に戻った4月30日の川崎フロンターレ戦以降の4試合で、移籍後初ゴールを含めた3ゴールを量産。清武が決めた試合は、すべてセレッソが勝利している。

もっとも、いま現在の清武が担うポジションは、ハリルジャパンで任されるトップ下ではない。移籍後で初先発を果たした北海道コンサドーレ札幌との第3節から、2列目の右サイドを主戦場としている。

「(山村)和也がトップ下に入り、(柿谷)曜一朗がフォワードから中盤の左に回るなど、みんな違うポジションでやっているなかですごく上手くいっている。点も取れているし、みんなハードワークできているし、いまはチームの状態がいい。これを続けていきたいと思う」

J1昇格プレーオフを勝ち上がったチームは過去4年間、例外なく最下位でJ2へ逆戻りしている。翻ってセレッソは現在4位。悪しきジンクスをはね返しそうな勢いのなかで、清武の状態も上がってきたのか。

「自分のコンディションに関しては、特に何も考えていません」

ピッチに立つからには心身ともに常にベスト。そのうえで、愛するセレッソの勝利に全身全霊をかける。プレーで「感謝」を伝えるのはこれからと言わんばかりに、帰ってきた言葉には厳しさが込められていた。
《藤江直人》

編集部おすすめの記事

page top