雌伏して時の至るを待つ。ノーベル生理学・医学賞を受賞した、山中伸弥教授の有名な言葉を借りれば「高く飛ぶためには、思い切り低くかがむ必要がある」からこそ、小川航基は静かに牙を研いできた。
高校ナンバーワン・ストライカーの肩書とともに、神奈川県の強豪・桐光学園からジュビロ磐田に加入した昨シーズン。周囲から寄せられていた期待に反するように、小川は沈黙の時間をすごしてきた。
リーグ戦ではベンチ入りこそ5度果たしたものの、出場機会は訪れない。YBCルヴァンカップに改称される前のヤマザキナビスコカップのグループリーグで2度、途中出場で計47分間だけピッチに立った。
最も長くプレーしたのは、9月22日の大宮アルディージャとの天皇杯3回戦。2点を追う後半開始とともに投入されたたが、45分間で放ったシュート数はゼロ。チームも0‐5のスコアとともに敗退した。
年代別の日本代表でともに戦っている盟友たちを見れば、DF中山雄太は柏レイソルで開幕直後からレギュラーを獲得。アビスパ福岡のDF冨安健洋も、セカンドステージからコンスタントに出場機会を得ていた。
2人がセンターバックを組んだ、昨秋のAFC・U‐19アジア選手権。6戦すべてで相手を零封し、初優勝を果たした日本は、まもなく韓国の地で開幕するFIFA・U‐20ワールドカップの出場権を獲得する。
「(中山)雄太君は落ち着いていましたし、それは大会無失点という結果にもなって表れていた。J1で経験を積んでいるセンターバックの存在は、大会を通じて別格だったと思います」
自らも岩崎悠人(当時京都橘高校、現京都サンガ)と並び、チーム最多の3得点をあげた。エースストライカーを担っていたものの、自分はこんなものじゃない、という思いも小川はその胸中に募らせていた。
「自分たちの世代でも、J1の舞台でバリバリのレギュラーとして活躍している選手がいますけど。だからといって、自分が劣っているとは思っていません」
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己の力を信じて高みを目指す
(c) Getty Images
■指揮官と繰り返したマンツーマン特訓の意味
ジュビロを率いる名波浩監督は、183センチ、77キロのサイズを誇る小川に、類希な潜在能力が搭載されていることを見抜いていた。そのうえで、小川本人にこんな言葉をかけ続けた。
「軽はずみなタイミングでは、試合で使わないからな」
ルーキーイヤーでも、ピッチに立たせればある程度の結果を残せただろう。もっとも、長い目で見れば小川のためにはならない。日本サッカー界の未来を見すえながら、指揮官もまた必死に我慢を重ねていた。
「高校を出てすぐ試合に出て、2、3点だけ取って消えていった選手を何百人と見てきたなかで、甘えた状況でピッチに送り出すことは僕のなかでは避けたかった。彼が日本の宝になる、日本を背負って立つストライカーになる、という位置づけで育てていかなければいけない、という使命感もあるので」
代わりに毎日のように居残りで、現役時代は日本代表の司令塔を担った指揮官とのマンツーマン練習に臨んだ。ひたすら、とにかくひたすらシュートを打ち続ける。こんな怒声が幾度となく練習場に響いた。
「もう高校生じゃあねえんだぞ!」
英才教育、いや、スパルタ教育といってもいいだろう。指揮官から振るわれ続けた愛のムチに、体に染み込ませるように繰り返された反復練習に、小川は感謝の思いを忘れていない。
「自分はボックスストライカーなので、その意味でゴール前でトラップするとき、あるいはシュートを打つところでリラックスできるようになったし、レベルアップしたという感じがあります」
自分に足りない部分があるからこそ試合に出られない――。ときには“なにくそ”という思いをエネルギーに変えながら、特訓に食らいついた。思い切り低くかがむ時期は終わったと、指揮官は太鼓判を押す。
「来たるべきときがきた。いまがそういう状況だと思うし、彼が自分でつかんだチャンス、自分でつかんだここから先の道だと思うので、あとは自分の理想を含めながら、大きく羽ばたいてくれれば」
■母校の大先輩・中村俊輔からかけられた言葉
今シーズンを振り返れば、途中出場ながらJ1では5試合に出場。YBCルヴァンカップのグループリーグでは、FC東京戦で達成したハットトリックを含めて、単独トップとなる4ゴールをあげている。
公式戦における記念すべき初ゴールは単なる通過点とばかりに、驚異的なスピードで開放されつつある非凡な能力。同時に小川のなかで、自分自身に対する揺るぎない自信が頭をもたげてきている。
「ジュビロで点を取ったことは、やはり自信になる。それは自分のプレーにも出ているのかなと思います」
真価を問われる2シーズン目が幕を開けた今年1月。予期せぬ出会いが小川を待っていた。母校・桐光学園の大先輩で、長く日本代表をけん引したレジェンド・中村俊輔が横浜F・マリノスから移籍してきた。
「練習に影響するような遊びはするなよ」
中村からいきなりこんな言葉をかけられた。もちろん、8月に20歳になる小川が、たとえば夜遊びなどに興じていたわけではない。21年を誇るキャリアから弾き出された鉄則を、中村は後輩に伝えていた。
「何よりもサッカーを一番に考えて、その日の練習へ最高の状態にもっていけるような生活をしろと。俊輔さんからは『いままで見てきた選手のなかで、だらしないヤツは一番上にはいけない』とも言われました。ピッチのなかでも外でも非常に興味深いというか、ためになるアドバイスばかりもらっています」
おそらくは中村も、小川の体に宿る無限の可能性を感じていたのだろう。日本代表でともに「10番」を背負い、ワールドカップの舞台でも戦った2人から注がれた愛情も、小川を成長させる糧となった。
そして、小川は20歳以下の代表チーム世界一を決める、2年に一度のヒノキ舞台に臨むメンバー21人のなかに選ばれた。ストライカーを象徴する世界共通の背番号「9」が、いまではすっかり似合う。
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ストライカーの証・背番号「9」を背負う
(c) Getty Images
「自分の役割はただひとつ。自分のゴールでチームを勝利に導くことを実行したい」
■五輪やA代表へつながる登竜門への挑戦
雌伏していた時間が長かったからこそ、敵陣で相手が嫌がる動きができるようになった。しかも、試合を重ねるごとにスケールを増していると名波監督は目を細める。
「自分から動き出す回数も、ボールを収めて、味方を使いながらゴール前に消えながら入っていく回数も増えている。ペナルティーエリア内で止まらない意識、というものも非常に強い。体もメンタルも非常にいい状態で、本大会を迎えられるんじゃないかな」
静岡県内で直前合宿をスタートさせたのが11日。U‐20日本代表は2つの強化試合を行ったが、小川はいずれもゴールを決めている。
12日のジュビロ戦は、味方のシュートのこぼれ球に泥臭く反応して押し込んだ。15日のU‐20ホンジュラス戦では左CKでニアサイドに飛び込み、長身を生かして頭でコースを変えて流し込んだ。
韓国の地では南アフリカ、ウルグアイ、イタリアとグループリーグを戦う。いずれも未知の相手であり、特に南アフリカは経験したことのない、規格外の身体能力を前面に押し出してくるはずだ。
「初戦ということで、みんなが硬くなるのはわかっている。そこで自分が点を取って、雰囲気を和らげることは使命だと思っています。自分は緊張して硬くなった、という記憶がないので」
前身のワールドユース時代から、世界への登竜門と位置づけられてきた舞台。数多くの先輩たちが結果を残し、羽ばたいていったからこそ、名波監督も小川のプレーを楽しみにしている。
「城彰二、柳沢敦、そして高原直泰は高校卒業直後からコンスタントに得点を積み重ねて、五輪やA代表への階段を上っていった。彼もこの先を見すえているはずなので、そうした絵を常に描きながら、いままで以上に探求心をもってプレーしてほしい」
チームは17日に韓国入りした。21日の初戦を心待ちにしながら、小川は「監督をがっかりさせないような結果を持ち帰らないと」と、自身と日本が高く飛びあがる姿を思い浮かべる。結果とは、もちろん優勝にほかならない。