サックスブルーを基調にホワイトとブラックが縦ストライプ柄で配された、川崎フロンターレのユニフォームに身を包んでプレーする姿が、いままでになく生き生きして子ども心に映っていたのだろう。
オファーを受けていたFC東京へ移籍したいと告げたとき、大久保嘉人が愛してやまない、いまがわんぱく盛りの3人の男の子たちはこぞって猛反対したという。もちろん、夫人の莉瑛さんも。
「ホント、家族は全員反対しましたね。何でですかね。いや、俺にもわからない」
誰よりも大久保自身が、4シーズン在籍し、J1の舞台で130試合に出場して82ゴール、約1.6試合に1ゴールと驚異のハイペースで得点を量産してきたフロンターレで至福の時間をすごしていた。
国見高校から加入したセレッソ大阪、そしてヴィッセル神戸でプレーした約10年間が241試合で89ゴール。約2.7試合に1ゴールだったから、いかにフロンターレとの相性が抜群だったかがわかる。
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フロンターレでゴールを量産
(c) Getty Images
ヴィッセルから加入した2013シーズンから、前人未踏の3年連続得点王を獲得。J1における通算ゴール数を破竹の勢いで伸ばしていった過程では、こんな言葉も聞いたことがある。
「最初からずっとフロンターレにおったら、ホント、いまごろどうなっていたんやろうね」
13日に東京国際フォーラムで行われたJリーグキックオフカンファレンス。J3までを含めた全54クラブの監督と中心選手が一堂に会したなかで、フロンターレのキャプテン、MF中村憲剛と顔を会わせた。
パスの出し手と受け手として、最高のハーモニーを協演。最強コンビとしてJ1の舞台を席巻してきたひとつ年上の中村からも、ブルーとレッドを基調とした新天地のユニフォームに違和感を示された。
「初めてこれ(FC東京のユニフォーム姿)を見た人にとっては、違和感でしょうね。ただ、フロンターレに移籍したときも、周囲から同じことをさんざん言われたけどね」
■心を揺さぶった2年ぶりのオファー
昨シーズン限りでフロンターレとの2年契約が満了することになっていた大久保のもとへ、FC東京から完全移籍のオファーが届いたのは昨年10月下旬だった。
振り返ってみれば、2014シーズンのオフにもFC東京からラブコールを受けていた。このときは熟慮したうえで断りを入れてフロンターレに残留したが、再び自分のことを必要としてくれた。
2年間の空白を超えた再オファーということは、要は2つ年を取っていることになる。しかも、大久保の場合は32歳が34歳になっている。「また来るとは思わなかった」と、ベテランの域に達した心が震えた。
「この年で普通はオファーなんか来んよ。それが2年ぶりでしょう。FC東京の誠意を感じたし、だからこそあともう一回、チャレンジしようと思った」
年間勝ち点で2位につけたフロンターレがJリーグチャンピオンシップに出場し、天皇杯でも最終的には元日の決勝まで勝ち進んだこともあって、正式発表は年が明けた1月4日だった。
もっとも、大久保の心はすぐに決まっていた。11月に入ってすぐに、「隠していたら何か気持ち悪い。すべて言ったほうがすっきりする」と自身のブログなどを通じて、FC東京への移籍合意を認めている。
決め手になったのはFC東京が示しくれた、2年前と変わらない高評価ともうひとつ。どんどん沸き出てくるチャレンジ魂の源泉にもなっていた熱い思いが、いかにも負けん気の強い大久保らしい。
「ずっと同じところにおるのは、何か面白くないしね。俺としては、ずっと安パイでおりたくない。せっかくチャレンジできるのだったら、やっぱりしないと。できるときにはする。そういう性格なので。家族の反対?いやいや、俺のなかでは関係ないから。やるのは俺だしね」
■J1通算200ゴール到達を目標に掲げて
昨シーズンの開幕前の段階で、J1通算156得点で歴代ランキングの3位につけていた。トップに並んでいたのは、レジェンド中山雅史(アスルクラロ沼津)と学年がひとつ上の佐藤寿人。差はわずかに1点だった。
もっとも、当時所属していたサンフレッチェ広島のセカンドステージ優勝を決めた、2015シーズンの最終戦で先制ゴールをゲット。ゴン中山に追いついた佐藤は、試合後にこんな言葉を残している。
「いやいや、すぐに(大久保)嘉人に抜かれますから」
果たして、2017シーズンの開幕を前にして、大久保は「171」にまで通算ゴール数を伸ばした。出場機会の減少もあり、4ゴールしか上積みできなかった佐藤は、J2に降格した名古屋グランパスに新天地を求めた。
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佐藤寿人は新天地で再起をはかる
(c) Getty Images
歴代ランキングでトップを独走する状況となったいま、ベスト10を見渡してみても現役で、かつJ1でプレーしている選手は、152ゴールで4位タイにつける35歳のFW前田遼一しかない。
しかも、前田とはFC東京でチームメイトになる。2年連続で得点王を獲得した実績があるとはいえ、過去2シーズンは2桁に達していないことを考えると、大久保の牙城を脅かす存在にはならないだろう。
「通算200ゴールは行きたいね。あと29点か。何シーズンかかったとしても、そこには到達したい。意識しているわけじゃないけど、どこが目標かと聞かれたら、172点目を目指すとは言えんでしょう」
前人未踏であり、未来永劫に誰も到達できそうにもない大台到達を大久保は笑顔で目標に掲げた。一方でしのぎを削り合ってきた最良のライバル・佐藤へ、カテゴリーを越えたエールを送ることも忘れなかった。
「風間さんが監督になって、あのサッカーをやればもっと得点が取れるようになるだろうしね。いきなりキャプテンにもなって、また違った(佐藤)寿人さんを名古屋で見られる。ホントに楽しみですね」
■王者アントラーズとの開幕戦へ高ぶる魂
サッカー人生における恩人の一人に、昨シーズンまでフロンターレを率いた風間八宏監督は間違いなく入ってくる。それだけ指揮官の理論は独特で、新鮮だった。
たとえば、ボールをもって仕掛けるプレー。高校時代から抱いてきた概念を180度覆され、30歳を超えて成長するきっかけになったと大久保は声を弾ませたことがある。
「それまではパスを受けてから仕掛けるのが習慣になっていたけど、相手にまず突っかけてから走る。相手が後ろ向きで、受け身の体勢になった瞬間にマークを外す。直後に味方に足元へパスを出してもらうと、すんなりと、パワーも使わずに裏を取れるんですよ」
その風間監督がグランパスを率いる。かつての自分と同じように、佐藤も類希な得点感覚をさらに進化させてJ1の舞台に戻ってくるはずだ。心を躍らせながらも、視線は目の前に迫る新たな戦いへ向けられる。
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過去には日本代表で共闘した大久保と佐藤
(c) Getty Images
「得点王を取るなら、20点以上はいかないとダサい。ただ、どちらがほしいかと聞かれればチームのタイトル。俺はFC東京を変えるために来た。得点を取ることで、チームを勝たせないといけない。そのうえで気づいたことがあれば、どんどん言っていく。それが選手の、チームのためになる」
フロンターレでの4年間は、悲願の初タイトルをもたらすことができなかった。天皇杯決勝で鹿島アントラーズに屈した直後も、愛着深い古巣に置き土産を残せなかった悔しさに涙した。
FC東京もカップ戦こそ制しているものの、真の実力が問われるリーグ戦で頂点に立ったことはない。しかも、25日の開幕戦はくしくも王者アントラーズのホームに乗り込む。いざ、舞台は整った。
「そこで俺が点を取って、アウェイで勝つことでスタートダッシュが切れたら最高だね」
背番号はフロンターレ時代と同じ「13」を託された。「俺自身はもう慣れた。ワクワクしているよ」。Jリーグに育まれた、現時点における最強ストライカーの新たな戦いが幕を開ける。