自転車界のホープ・梶原悠未…東京オリンピックの表彰台を目指して | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

自転車界のホープ・梶原悠未…東京オリンピックの表彰台を目指して

オピニオン コラム
自転車界のホープ・梶原悠未…東京オリンピックの表彰台を目指して
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  • 全日本選手権女子エリートロードで3位になった梶原悠未(2016年6月25日)
  • 全日本選手権女子エリートロード、優勝の與那嶺恵理(中央)と萩原麻由子(左)、梶原悠未(2016年6月25日)
  • 全日本選手権女子エリートロードを走る梶原悠未(2016年6月25日)
  • 全日本選手権女子エリートロードで母からボトルを受け取る梶原悠未(2016年6月25日)
  • ジャパントラックカップII、女子オムニアムは母の前で優勝した梶原悠未(2016年7月10日)
初めて挑んだ全日本自転車競技選手権女子エリートを終えて、「すべてが違いました。力がある選手がそろっているので、自分はまだまだだなって思いました」と梶原悠未(かじはら ゆうみ)はジュニア選手とエリート選手の差を感じた。

ジュニア時代の2015年アジア選手権で五冠達成の快挙を成し遂げ、一躍日本自転車界にその名を轟かせた梶原は、4年後の東京オリンピックに狙いを定める。


梶原悠未選手 ロードレースではFELTの『F1』を使用

中学校までは競泳に明け暮れた。幼少期に泳ぐことを覚え、小学4年からは全国大会に毎年出場するようになった。しかし、中学3年は関東大会2位に終わり、全国大会への切符を逃す。それが転機の始まりだった。

「すっごく悔しくて、その時初めて他のスポーツやってみようかなと思ったのが一番最初のきっかけです」

水泳部のない筑波大学付属坂戸高校に進学することを選び、そこで自転車競技に出会った。自転車と言えば買い物に使うシティサイクルしか知らなかった少女だったが、未知の世界に飛び込むことにためらいはなかった。

「自転車に競技があること自体も知らなかった。もともと競艇には興味があったんですけど、競輪は観たこともなくて。自転車競技って何?ってぐらいでした。右も左もわからなくて、何もかもが新鮮で」

中学までは0.01秒を競う水泳の世界で生きてきた。だが自転車ではベストタイムを5秒、10秒と縮めることができる。そこに水泳とは違う面白さを感じた。自転車の魅力に引き込まれるのに時間はかからなかった。

高校1年の終わり、2013年3月に行われた全国高校選抜大会でロードレース、2km個人パーシュート、スクラッチを制して三冠するほどの力をつける(2年連続で三冠を達成)。競泳で諦めたものを、自転車でつかみ取った。

「全国で優勝したい想いが水泳時代からあった。その時は優勝できるとは思っていなかったのですごく嬉しくて、涙がとまらなかったです。(水泳で勝てず)努力って報われないと思っていたんですけど、やっと報われた」

そしてナショナルチームからも声がかかる。高校3年の2月、二度目の参加となったアジア選手権のジュニアでトラックレース3種目とロードレース、個人タイムトライアルで金メダルを獲得、五冠を達成した。全日本選手権ジュニアでも二冠を手に入れ快進撃を続ける。


2015年アジア選手権、女子ジュニア個人ロードレースで優勝 写真提供:JCF

だがジュニア最後のシーズンとなった2015年を梶原は、「すべて優勝を狙って走ったんですけど銀メダルだったり銅メダルだったり、4位だったり、悔しい思いをたくさんした年でした」と振り返る。

「そこからエリートに上がって、その悔しさをバネに頑張ろうと決めました」

【自転車界のホープ・梶原悠未…東京オリンピックの表彰台を目指して 続く】
《五味渕秀行》

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