「一番を目指す気持ちが水泳だろうが自転車だろうが、ってところだと思います。(高校に入って)いい出会いがあって、監督にも恵まれて、仲間とか、ひとつの出会いから(自転車競技人生が)始まった感じ。いい出会いができたんだねって、今でも話します」
落車でケガをすることも多い自転車競技。母・有里さんは心配しつつも、弱音を吐かない娘を見守る。全日本選手権では補給所に立ちサポートした。
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全日本選手権で母からボトルを受け取る
オリンピックのロードレースにシドニー、アテネ、北京と3大会連続で出場した沖美穂さん(現日本競輪学校教官)も梶原に期待を寄せる。注目している選手を訊いたら、「梶原さん」とすぐに返ってきた。
「見ててすごくいい。モチベーションが高そうで、自分の考えも持っていそうな顔つきをしている」
沖さんは7月9日・10日に静岡の伊豆ベロドロームで行われたジャパントラックカップIIの観客席から梶原を見ていた。6種目の総合ポイントを競う女子オムニアム(※)にナショナルチームのひとりとして出場した梶原は、同じナショナルチームでリオデジャネイロ五輪日本代表に選ばれている塚越さくらを3位に抑えて優勝を飾っている。
※:スクラッチ(10km)、個人パーシュート(3km)、エリミネイション、タイムトライアル(500m)、フライングラップ、 ポイント・レース(25km)の6種目を行う
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ジャパントラックカップII、女子オムニアムは母の前で優勝
かつて競泳に情熱を注いだ梶原の、小学生時代のヒーローは北島康介さんだ。アテネ、北京と2大会でオリンピック金メダルを獲得した元日本競泳界のエース。彼に憧れ、オリンピックを意識した。
「オリンピックで輝く北島選手を見て、私もオリンピックに出たいと思っていたんですけど、やっぱり遠くて漠然とした夢だった。自転車を始めて少し見えてきたかなというか、近づくことができたかなと思います」
競泳では全国大会に出ることが精一杯で、そこで優勝することはなかった。世界のレベルなど想像もつかなかった。しかし、自転車競技では日本を飛び越えアジアチャンピオンに輝いた。てっぺんが見えてきた。
「想像できなかった自分が想像がつくようになって、現実になって。そうやって一歩一歩近づけていけたので、これからも一歩一歩世界に近づけていけたらと思います」
梶原は自転車の魅力を、「人間の体だけじゃ出せないスピード」と答える。自分の体ひとつで戦ってきた競泳では全国優勝の速さは出せなかったが、自転車を使うことで梶原は日本はもちろん、アジアまでも制するスピードを手に入れた。
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「自転車にまたがることで出せるスピード感が自転車競技の魅力のひとつ。あとは駆け引きですね。ルールがわかると面白くなって、駆け引きや作戦が読めるようになるとさらに面白くなってくる。どんどんのめり込んでいくような感覚、わかればわかるほど面白い競技だと思います」
わずか3年で国内で一目置かれる存在になった。ひたむきな努力とそれを支える周囲の応援が梶原をより強く、速く走らせる。
「挑戦者でありたい。積極的なレースができるように。今の自分が持ってる力をすべて出し切れるようなレースができたら、どんな結果でも次につながると思う。1年後、2年後、3年後とつながるように」
それが4年後、23歳で迎える東京オリンピックにつながる。目指すのは表彰台の真ん中だ。
●梶原悠未(かじはら ゆうみ)
筑波大学サイクリング部所属。埼玉県出身、1997年4月10日生まれ。ハマっていることは半身浴。室内練習はナオト・インティライミを聴きながら。休みの時は東野圭吾の小説を読んだり、ドラマを観て過ごしている。