●金砂山の戦い
時は平安。
現在の常陸太田市にあたる地域では、豪族・佐竹氏がブイブイ言わせていた。この佐竹氏を懲らしめてやろうとしたのが源頼朝だ。さすがは天下の頼朝様。佐竹氏を太田城から、あっという間に西金砂山に追い込む。
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こから参道。向かって右側に駐車場あり。舗装路を歩くルートを選んだ
しかし、ここで佐竹氏が粘る。西金砂山の地形を生かして、籠城作戦に出た。頼朝様は「2日で落ちる」と踏んでいたそうだが、1週間経っても城は落ちない。佐竹氏は熱湯や巨木を投げつける、頼朝軍を混乱に陥れたのであった(結局、頼朝軍が勝ったが…)。
これが西金砂山で起きた金砂山の戦いである。この後も金砂山の戦いは2度行われたが、計3度の戦のうち、2度は西金砂山で行われている(うち、1度は近くの東金砂山)。
●西金砂山神社
この西金砂山の頂上に鎮座する西金砂神社の歴史も古い。
神社が建てられたのは西暦806年。1200年以上の歴史があるが、この神社で行われている祭り「金砂神社磯出大祭礼」がすごい。これが72年に1度しか開催されない。前回が2006年、第17回目の開催で、次は2078年になる。「二度見る者は稀である」と言われているのも納得だ。大祭礼は72年に1度だが、小祭礼もあり、こちらは6年に1度開催されている。
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西金砂神社の本殿
…このような歴史の詳細を踏まえずに、私は山を登った。それでも歴史の重みはじゅうぶん過ぎるほどに伝わってきた。
拝殿前にある大きなイチョウとサワラの御神木。拝殿の下に並べられた古い獅子鼻の数々。本殿の佇まい。戦で籠城の際に役立ったであろう、断崖絶壁。
名は体を表す。そして、体は身を表す。
無学な私にもわかりやすく、「ここではいろいろあったんだよ」と山全体で教えてくれているようであった。