筆者はよく、方向感覚を失い道に迷う。街中を歩いていても、車で走っていても、山でも、ところ構わず道に迷う。
例えば街中で、行きと帰りで同じ道を歩いたとしても、帰りの際には違う道を歩いている錯覚に陥る。昼と夜でも、同じである。
山でもよく道に迷う。踏み跡のしっかりしていない低山では尚の事。特に、今回の亀ヶ淵山では「遭難したかもしれない」と真剣に焦るほどの道迷いに遭った。
■「今来た道」に戻れない
亀ヶ淵山の登山道は、道とは呼べないくらいにあやふやだった。登りは頂上という一点を目指して登ればいいから迷うことはなかったが、下りの際には無数に道があるように見えてしまう。
「今来た道を戻るだけ」と何も考えずに歩いていると、どうにも「今来た道」ではなくなっている。でも、「きっと合っている」と思い込み、「何とかなるだろう」と歩を進めた。
その結果、まんまと道に迷ってしまった。道に迷ったといっても、低い山だからどうにかなるに違いない…そう思って(願って)当てずっぽうに歩いていると、何とか正規のルートに戻ることができた。
なぜ、道に迷ってしまうのだろう。小さな山での、小さな遭難といっても、侮ってはいけない。「遭難」とは、命に関わる難に遭遇する…という意味である。低山で道に迷って、死亡するというケースだって往々にしてあるのだ。
このままではいつか本格的な遭難に遭うと思い、帰宅後にググってみる。すると、愛知県の豊川山岳会のHPに「道迷いの心理」が書かれていた。以下、そこに書かれていたものの要約である。
■道迷いの心理状態
「道に迷ったら、ハッキリとわかる場所まで戻ること」
これは、登山において鉄則のルールである。
道迷いに陥りがちな人は、このルールを無視して「そのまま進む」という選択をしがちだ。
1.気持ちの「あせり」「不安」「過信」などにより、進んでしまうことが考えられる。または、「何も考えていない」。
2.「おかしい」という不安な気持ちを打ち消す心理が働き、「何とかなる」という前向きな気持ちが芽生える。
3.この先に目標があるという、「思い込み」や「願望」が心を支配してしまっている。
このような心理状態に陥っていると、道迷い遭難の危険度が高くなるという。
何も考えていない、何とかなる、思い込み……。
まるで、筆者の当時の心理状態を見透かしたかのような記述である。どうやら、道に迷うべくして、迷っていたようだ。
《久米成佳》
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