50m走の記録は6秒9と決して速くはない。むしろ鈍足の範疇に入る。身長もフォワードでは超のつくほどの小柄。しかしながら、加藤の体に相手との間合いを一瞬で詰める瞬発力と、チームのために身を粉にして走り回れる献身的な心、そして無尽蔵のスタミナが搭載されていた。
河崎監督から具体的な指示はない。それでも、他の選手に対して飛ばした檄から、急造フォワードである自分が率先して務めるべき役割が伝わってくる。
「加藤くらい走れ、と言っているのを聞いたんです。運動量だけが評価されていると思うので、毎日早く寝て、疲れを残さないようにしています。少しでも走れなかったら、サボっていると言われてレギュラーを外されると思っているので」
かくしてレギュラーが背負うには大きすぎる「25」番をつけた、DF登録のスポーツ刈り姿の異色フォワードが誕生。今大会の緒戦となった、1月2日の玉野光南(岡山)との2回戦で先発を果たした。
同じく運動量を武器すると大倉尚勲(3年)と組んだ、県大会とはまったく異なるツートップがチームに与える効果はてき面だった。攻守を司るボランチの大橋滉平(3年)が、玉野光南戦後にこう声を弾ませている。
「前半は相手に蹴られることが多かったんですけど、後半はしっかりとプレッシングをかけて、相手に自由にボールを蹴らせなかった。相手が疲れてきた時間帯でもウチのフォワードはしっかりと走って、相手のロングボールがタッチラインに反れることが多かった。そこはすごくありがたいと思っていました」
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第94回全国高校サッカー選手権大会の準決勝と決勝が行われる埼玉スタジアム2002
しかも、加藤はプラスアルファまで星稜にもたらす。1対1で迎えた後半33分。ドリブルで攻め上がってきた大橋とワンツーを成功させた加藤は、そのままゴール前のニアサイドへダッシュ。大橋のスルーパスを受けたMF根来悠太からのクロスを、右足で押し込んだのだ。
「ちゃんと足にヒットしていたら外れていたかも…。右足のインサイドで蹴ったらすぐに軸足か地面に当たって、すごい軌道でゴールに入ったんですけど、それも自分らしいかなと。たまたまキーパーのタイミングを外せて本当にラッキーでした。このチームで何の結果も出せていなかったので、ようやく貢献できた思いです」
ワンバウンドした末に不規則な回転がかかり、山なりでゴール右上に吸い込まれた決勝弾に、加藤は苦笑いを繰り返した。もっとも、殊勲の一撃は隠れた努力の賜物でもあった。
■YouTubeで研究をする
コンバートを命じられてから、サイズが近いフォワードのプレーをYouTubeで探しては研究した。最初は175cmのスペイン代表FWダビド・ビジャ。ちょっと身長が大きいと感じるや、2012年に横浜F・マリノスで「10」番を背負った170cmの小野裕二の動画を脳裏に焼きつけた。
「小野選手はあまり動画がなかったんですけど、頑張って探しました」
試合形式で行われたある日の練習中。対峙したボランチの選手に「お前の動き、ようわからんわ」とボヤかれたことで、むしろ手応えを得た。相手にとって、計算外の動きができるフォワードになりつつあると。
「自分はボールをもって何かをできる選手ではないので。味方がボールをもったときに裏へ走るとか、守備で走り回るとか、チームに貢献するために走り回っていきたい」
1点のリードを守り切った中京大中京との3回戦。そして、3ゴールを奪って快勝した明徳義塾(高知)との準々決勝。ともに無失点で80分間を終えた理由は、攻めてはスペースを狙い続け、守っては相手にプレッシャーをかけ続けた加藤の存在を抜きには語れない。
「チーム力からいえば、去年のチームと比べたら半分だと僕は思っている。個人の力がなさすぎなんですけど、それでも1試合1試合よくなっていくんですね」
首都圏開催となった1976年度以降では3校目となる4大会連続のベスト4進出から、3大会連続の決勝進出を経て、戦後では8校目となる選手権連覇へ。河崎監督が目を細める先には、一般入学組からあきらめることなくはい上がり、シンデレラボーイからチームに欠かせない最前線のダイナモへと一気に昇華した加藤がいる。