【THE INSIDE】野球少女がプロになるまで…兵庫ディオーネ3選手に聞く女子プロ野球 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】野球少女がプロになるまで…兵庫ディオーネ3選手に聞く女子プロ野球

オピニオン コラム
女子プロ野球 兵庫ディオーネ主力3選手、野球少女からプロまでの道のりを語る
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  • 宮原臣佳
  • 寺部歩美
  • 里綾実
創設6年目となった女子プロ野球だが、まだ、一般的には広く知られていないというのが現実だ。それでも、選手たちも一緒になって普及のために努力していくことで、徐々に認知されていっている。

自分自身の技術向上や、プレーを高めていくということもさることながら、より多くの人たちに女子プロ野球の存在を知らしめて行こうという意識も、それぞれが強く持っている。

先回の埼玉アストライアに続き今回は兵庫ディオーネの中心3人にそれぞれの思いを聞いてみた。

(聞き手/手束 仁)


【兵庫ディオーネ編】

〇里 綾実 #18 (投手) 鹿児島県出身 神村学園→尚美学園大→福知山成美コーチ→13年レイア入団→15年ディオーネ移籍

〇宮原臣佳 #13 (投手) 奈良県出身 神村学園→倉敷ビーチジャックスレディース→11年ドリームス入団→13年ディオーネ入団

〇寺部歩美 #10 愛知県出身 花咲徳栄→尚美学園大→15年ディオーネ入団

***

――最初に、それぞれ野球との、最初の出合いについてお話しいただければと思います。

里 4歳上の兄が野球をやっていましたから、幼稚園の時から遊んでいたのですが、兄が3年生になった時に、一緒に遊んでいて遊びでついていったのが最初ですね。そこで、「やる?」て、聞かれて、一緒にやるようになりました。

宮原 お父さんの会社の野球についていって、ちょうど兄も野球をやっていましたから、それについてボール遊びをしていたのが始まりでしょうか。小学校に入った頃から一緒にやっていました。

―― それじゃあ、球歴としてはこのチームでも一番古いくらいですね(笑)。

宮原 ああ、そうですね(笑)。

寺部 私の場合は、3つ上の兄が野球チームでやっていまして、父もそこでコーチをやっていました。それについていったのが最初ですが、体を動かすのが好きでしたから、自分もじっとしていられなくて、キャッチボールとかやらせてもらって、一緒にやるようになりました。

―― 比較的、自然な形で練習に加わったという感じですか。

寺部 そうですね、私、走るのが結構、速かったですから、ベースランニングなんかは好きでしたね。最初は小学校2年くらいの時だったと思います。

里 最初は、遊びからでしたけれども、本格的に始めたのは小学3年くらいですが、私は島育ち(奄美大島)ですし、周囲で野球やっている女の子が珍しかったですけれども…、(男の子に)負けたくないと思っていました。女の子ということがわからないくらいだったということをよく言われました。そう言われることが、逆に嬉しかったりもしました。やはり、やっている以上は認められたいという思いですね。



宮原臣佳


宮原 私は、成長も早くて小学校4年で足(サイズ)も26でしたから(笑)、身長も大きかったんです。それで、四番を打たせてもらっていました。髪も三つ編みしていてやっていましたから、“リボンちゃん”なんて呼ばれていました。結構、男子も含めた中でも、一番打てていたりしていましたよ。

―― それじゃー、スーパー野球少女だったんじゃないですか。

宮原 そうですかね(笑)。まぁ、男の子にも負けたくはなかったし、(男子に)対抗してやっていましたね。

―― そうすると、進学先として女子野球部のある神村学園というのはごく自然のことだったんですね。

宮原 そうです。私は、知らなかったんですが、女子でも野球をやれるところとしては、「神村学園というところが強いよ」ということで、周囲の大人にも言われていました。それで進学することになりました。

【次ページ 野球少女が成長した過程】

《手束仁》

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