【プロ野球】ソフトバンク内川が鷹の新4番へ…清原、松井、サブロー、時代で変わる4番像 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【プロ野球】ソフトバンク内川が鷹の新4番へ…清原、松井、サブロー、時代で変わる4番像

スポーツ 短信
内川聖一 参考画像 (c) Getty Images
  • 内川聖一 参考画像 (c) Getty Images
  • 清原和博 参考画像 (c) Getty Images
  • 松井秀喜(2015年3月4日)
ソフトバンクは3月11日、巨人とオープン戦で対戦。この日、ソフトバンクの4番に入った内川聖一外野手が値千金の2点タイムリーヒットを放ち、巨人に2-1と競り勝った。

2015年の4番は内川だ。工藤公康新監督は、早くから内川の4番構想を描いていた。2014年に4番を務めた李大浩内野手は5番での起用が決定的。3番に入ると予想される柳田悠岐外野手とともに強力クリーンナップを形成する。

内川の4番に対してはファンは、「なんか4番というイメージではないけど、打線がつながりそう」「内川本人も4番を打ってみたいとか言ってたもんな」「確実性を重視してるんだろうな」「チャンスに強いイメージあるし、いいんじゃないか」など、新4番の内川に期待する声も多い。

工藤監督は打つ方に関しては、「確率を重視したい」と常々言ってきた。日本野球界屈指のアベレージヒッターの内川を4番に置くことは、指揮官の考え方を具現化する形となる。

日本プロ野球の長い歴史において、過去の4番像と現在の4番像は異なっている。例えば1990年代は、チャンスに強い確実性はもとより、主に長打の期待できるパワーヒッターが主流だった。当時、西武の黄金時代を支えた清原和博氏、広島の江藤智氏、巨人の松井秀喜氏ら、4番に座る打者には常に本塁打が期待されており、そういう打者が4番を打っていた。

ロッテや中日、巨人などを渡り歩き、幾度となく三冠王を獲得し、自身も4番打者として長きにわたり活躍した落合博満氏は、「オーダーを決める時に、まず4番の名前がすぐに出てくれば、後は自然に決まっていく。それが4番」と4番の重要性を説いていた。

2000年代に入ると、従来にはなかった4番像が見られ始める。その代表的な例のひとつが、ロッテの4番に抜擢されたサブローだろう。サブローを4番に抜擢した当時のボビー・バレンタイン監督は、「サブローこそ4番に相応しい」と話していたが、それまで際立った実績もなく、長打力に長けているわけでもないサブローを4番にすえたことには驚かされた。

バレンタイン政権下のロッテ打線は、毎日のように打線を組み変えて試合に臨んでいたが(100通り以上)、サブローの4番だけは動かさなかった。状況によって犠牲フライも打つことができ、四球も選べるサブローは、「つなぎの4番」として指揮官の期待に応え、2005年のロッテ日本一に大きく貢献した。

また、第2回ワールド・ベースボール・クラシックで侍ジャパンの4番を任されたのは、パワーヒッターというよりも左右に広角に打ち分ける巧打者、稲葉篤紀氏だった(試合によっては村田修一が4番を務めた)。主に日本ハムの3番打者として首位打者を獲得するなど活躍していたが、侍ジャパン指揮官であった原辰徳監督から4番に指名された際には、「自分でいいのだろうか」と悩める胸中を打ち明けた。

侍ジャパンには、当時の横浜で4番を打ち、2年連続本塁打王を獲得するなど乗りに乗っていた村田修一、アテネ五輪野球日本代表でも4番を任されるなど一発が魅力の城島健司、また、小笠原道大ら屈強の打者が名を連ねていた。原辰徳監督は「状況に応じた打撃、つなぐ打撃を期待している。いつも通りの稲葉でやってほしい」と"つなぐ4番"に期待をかけ、稲葉もそれに応えた。イチローや松坂大輔のような華やかさはないが、自身のプレースタイルを貫いて侍ジャパンの連覇に貢献した。

2015年、ソフトバンクの新4番に座るだろう内川。2008年に右打者として歴代最高打率378をマークして大ブレイクして以来、当たり前のように毎年3割を打つ。ここ数年は確実性に加えて長打力も備わってきた。日本プロ野球史上屈指のヒットマンが、「つなぐ4番」の進化形をみせてくれるに違いない。
《浜田哲男》

編集部おすすめの記事

page top