ミステリアスな起源をもつイタリアブランド vol.2 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

ミステリアスな起源をもつイタリアブランド vol.2

オピニオン インプレ
ミステリアスな起源をもつイタリアブランド vol.2
  • ミステリアスな起源をもつイタリアブランド vol.2
バランスがいいだけでなく、ペダリングが奥深い
何をやっても気持ちいい
結果から言うと、このEMME695は絶品だった。エボと同じく 「新世代の超軽量フレーム」 に、いや、それを超える絶品に仕上がっていた。超軽量フレームというキャッチコピーの期待を裏切らない軽快度の高さを持ちながら、全く破綻がない。ここまでバランスが整えられているとは思わなかった。
その性能をもたらしているものは、やはり剛性 “感” である。加速そのものが図抜けているわけではない。フレーム重量からEMME2のような剛性がないことは容易に想像できたし、事実EMME2にあったダイレクトこの上ない加速感は薄れている。しかしそのかわり、どこまでも踏み続けられる玄妙なる剛性感を手に入れている。
ペダリングフィールは軽いのに、最近のフレームのようにスカスカでは決してない。どんな踏み方をしてもフレームが適度に粘り、チェーンにトルクが乗ってくれる。しっとりとしたウェットな感触を残したままペダルがスッスッと素直に下がっていき、トラクションは静かに、滔々と吐き出される。そこに妙な演出は一切ない。それが体感として脚に伝わってくるのが素晴らしい。バランスがいいだけでなく、ペダリングが奥深いのだ。
シッティングでもダンシングでも、クルクル回してもグイグイ踏んでも、チンタラ流しても50km/hでカッ飛んでも、もう何をやっても気持ちいい。フレームと身体が一つに溶け合うよう。数値 (フレーム重量) だけで人を驚かし、走るとバランスガタガタという出オチ的軽量フレームは、完全に過去のものになったのか。
ハンドリングや快適性に関しても文句はない。路面の凹凸は正確に伝えるが、全てマイルドになっており、しかも減衰が速い。どんな高速でも挙動は信用できる。下りでも安定感は高いし、前後のフォークは9000系デュラエースのブレーキ系統に全く負けていない。
昨年モデルのEMME2とは真逆の性格
この剛性感は、軽量化に重点を置いた肉薄チューブが過剛性になっていないこと、そしてチューブに異形加工がほとんどされていないことに起因するものだろう。形状から察するに、変にたわみの方向性を持たせようとしていないのだ。また、しなやかな各チューブを、しっかりとした接合部が支えているという印象を受ける。接合部は各チューブの端をガッチリ掴んで動かず、チューブの端から中央にいくにしたがってだんだんとしなりが大きくなっていく、という感覚である。各チューブの接合部分にカーボンを巻いてチューブ同士を結合するというチューブtoチューブ製法が、そのような現象をもたらしているのだろうか。ラグドフレームが独特の乗り味を持つと言われ、いわゆるモノコック然とした走り味と区別されるのは、このあたりに理由があるのかもしれない。
しかし、その美点はあくまでも、筆者の体型と踏み方とこのフレームサイズでの印象。どちらかというと、EMME695は体重の軽いクライマー向けのフレームだと感じる。高速で伸びないわけではないが、コルナゴのように高速域への天井知らずの伸びを武器にするタイプではない。さらに、スプリンターが踏み倒すような超高負荷域では、EMME695が持つ魅力は薄れてしまうだろう。むしろ、このナチュラルなしなりが逆効果となって 「進まない」 という印象を与えかねない。パワーを均しながら路面に伝えるこのやり方を 「余計なお世話だ」 と切り捨てる人もいるだろう。筆者が 「気持ちいい」 と感じたということは、筆者レベルの脚力でしなりを使い切れているということかもしれない。このEMME695は、ベースとなったEMME2とは真逆の性格に仕上げられているのである。
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どんなに苦しいヒルクライムでも、きっちり踏める
それぞれにキャラクターが異なる超軽量車
ヒルクライムでの走りの軽さは、このフレームの一番の見どころだ。しなりの 「深度」 がペダルにかけていくパワーに対して素晴らしいタイミングで変化していき、足はフレームの柔らかい反力でそっと押し返される。そんなしなりの 「往き」 と 「戻り」 が美しく繰り返され、登坂で震えるほどの快感をもたらすのである。これはもはや、「しなやか」 「スムーズ」 というフレーズで一括りできるような単純なものではない。
しなりの発生具合が予想しやすく、どれだけしなっているかという状況も把握しやすいため、ヒルクライムでいっぱいいっぱいになっても、きっちりと最後まで踏める。坂で自分の能力を最も引き出してくれるのは、こういうフレームなのかもしれない。
この登坂での走りの軽さは、ただ単純に 「フレーム重量が軽いから」 ではないだろう。筆者は試乗車には必ずボトルケージを付けて、ツールボトルとドリンクボトルを入れて走る。チョイ乗りで済ますのではなく、長距離を走るからである。当然、ボトルの中身が満タンのときもあれば、カラに近いときもある。登坂での軽さがバイク重量に起因しているのならば、ボトルの中身の量によって走りの印象がガラリと変わるはずである。しかし、現実はそうではない。ツールボトル+満タンのドリンクボトル=約1kgがあってもなくても、印象はさほど変わらないのである。この登りの軽さは、質量ではなく剛性感によってもたらされているものだと考えるのが妥当だろう。よく軽量フレームのインプレで 「さすがに登りが軽い」 などと書いてある文章に出くわすが、そこらへんを考えて書かれたものだといいのだが。
しかしこの感動的なまでの身のこなしは、作り手が意図したものなのか、軽量化の結果として偶然生まれた副産物なのかは分からない。例えばトレックは、明らかにしなりを意図した性能としてマドン7のフレームに織り込んでいる。実際にエンジニアは 「しなりも計算に入れて設計している。単に硬いだけ、軽いだけのバイクではなく、フレームをトータルでみたときに 『どこでどうしなるか』 ということが非常に重要だ」 と話していたし、マドン7のペダリングフィールは緻密に計算され煮詰められたものだと感じた。「硬ければそれでいいのか」 「バネ感とは何か」 「いいしなりとは何か」 を理論的に徹底的に解析し研究し、どちらかというと人工的に 「理想のペダリングフィール」 に挑んだという印象である。スーパーシックスEVOはEMME695と同様に大きくしなるタイプのフレームだが、あくまでも動的性能優先で、どんなときも冷静さを失わない。
それらに対しEMME695は、より自然で、より味わい深く、より感情的で、より快感が大きい。狙ってセッティングをツメていかないとこうはならないような気もする。意図的か偶然か、どちらにせよこれを作り上げたボッテキア開発陣の仕事っぷりは手放しで絶賛していい。超高負荷時に見せる若干の動きの鈍さは、澄み切ったしなりを選んだからこそ生まれたネガなのだろう。技術陣は、それが分かっていながらこういう選択をしたのだと思う。ガチガチに固められたEMME2、そのパイプを薄くして軽く仕上げただけのEMME695 そんなやっつけ仕事をどこかで想像していた自分が恥ずかしい。
見事に完成された独自の走り世界
“優しいが中身はしっかりサイボーグ” のマドン7。しなりを前面に押し出しつつも、どんなシーンでも冷静に速いスーパーシックスEVO。至極ナチュラルで 「計算した感」 が全くなく、甘美なる剛性感で乗り手を魅了するEMME695。同じしなりを活かすタイプの超軽量フレームでも、その味付けは各々異なっている。もちろん、どれが正しいと断言することは僕にはできない。それは、乗り手の好みや体格、脚質などが判断するものである。しかし、バイクと渾然一体となって駆け登りたい、ロードバイクを走らせることでしか得られないカタルシスを味わいたいと願う乗り手にとって、EMME2は特別な存在となる可能性がある。スーパーシックスEVO比でプラス20万円のエクストラコストを払う価値は、まさにここにある。この見事なまでに完成された独自の走り世界に大枚をはたくのである。
しかし、EMME695の本質が正しく理解される日も、性能に見合ったほど売れる日も、(少なくともEMME695が現役を張っている間は) こないような気がする。日本人だからこそこの絶妙な剛性感に共感し感嘆できると思うのだが、まだまだ市場は分かりやすい加速重視の剛性偏重。しかも、じっくりと時間をかけて向き合わないとEMME695の世界観は理解しにくい。さらに、これを伝える側も一因になってしまう。こういうフレームは走らせた印象を語るにも抽象的な表現が多くなり、「速い」 「硬い」 という単純明快な感想に比べて、(ここまで読んできた人はもうお分かりのように) インパクトがない。感動が伝わりにくいのだ。「マニアックなブランドが出した超軽量フレーム」 という先入観も邪魔をする。価格も地味なルックスも足を引っ張るだろう。かといって欧米では体型の違いもあって、このフレームは高く評価されない可能性が高い。
一種の奇跡と言ってもいいくらいのこんなフレームが、その難解さゆえ、人々の記憶に残らず消えていくことになるのか。
そんなことを考えていたからだろうか、EMME695がウチにやってきてから、あっという間に一週間が経った。借りていられるのは今日まで。最後にもうひとっ走りしてこよう。
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