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プロ野球・阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)で捕手として活躍した岡村浩二さんが1月29日、肺がんのため香川・高松市内の病院で死去していたと報じられた。
岡村さんの死去に伴い、多くのメディアが1969年日本シリーズ第4戦の事件に触れていた。今に至るまで、投手の危険球退場を除き、日本シリーズ史上唯一の退場事件だった。
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■日本シリーズ史上、極めて珍しい退場事件
私の年齢以上の野球ファンには記憶に残っていると思うが、巨人2勝1敗で迎えた第4戦、3対0で阪急リードの場面で事件は起きた。反撃を開始した巨人4回裏無死一塁三塁で一塁走者の王貞治がスタート、岡村の二塁送球を見て三塁走者土井正三が本塁へ突入、ダブルスチールである。打者が長嶋茂雄でこの作戦は珍しかったのではないかと思うが、それが日本シリーズという特別の試合なのだろう。二塁手からのバックホームを受けた岡村はコリジョンルールのなかった時代、完璧なブロックを見せて土井を弾き飛ばしたが岡田球審がセーフの判定、激高した岡村が球審を殴ったというものだ。「退場」という球審の声もよくテレビの視聴者に聞こえてきたものだ。
観客はもちろん、テレビのリプレーでも土井はスライディングをすることも回り込むこともできず、「立った状態」で岡村の股間に前足を少し伸ばしただけで何メートルも吹っ飛んだ。誰の目にも完全にアウトに見えた。
この回巨人は反撃の手を緩めず一挙6点を奪い逆転勝利、シリーズもそのまま阪急を圧倒て5連覇を達成し、3年連続パリーグを制した阪急と西本幸雄監督の野望を打ち砕いたプレーとも言われた。本塁のアウトを確信した岡村が、暴行はよくないにしても、怒るのももっともだというようなジャッジであった。
ところが、翌日の新聞には土井が転倒する前に左足が触塁している写真が掲載され、岡田球審の正しさと土井の見事な走塁が証明されたというのがこのプレーの顛末である。
日本シリーズ史上に残る事件だったので、当事者たちは何度も取材を受けたはずである。
■立教大学野球部先輩後輩の激突
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東京六大学2022年秋開幕戦 撮影:篠原一郎
しかし、岡村のほうが「真相」を一部告白していなかった点がある。それが語られたのは2004年のころと記憶しているが、テレビのインタビュー番組でのことだった。「もう最後だと思うので、初めて言うけれども、土井が立教大学の2年後輩だったのでブロックが甘かった。ほかの選手なら違っていた」ということを語ったのである。
2学年違いの先輩後輩の関係はけっこう薄からぬものだ。毎日いっしょに汗を流し、8シーズンのうち半分の4シーズンを戦う間にできる絆は濃い。こういうのは「母校愛」などではなく、理屈抜きで自分と同じユニフォームを着て戦う後輩たちはかわいいものだ。私自身は「自分の分身」と位置づけて今も後輩の試合はネット裏の記者室で見ている(ただし公式記録員は出身大学の試合を担当することはない)。
こうして立大の先輩後輩はシーズンの最高の舞台で敵味方に分かれ、絶対に本塁を守りたい捕手と、何としても本塁を陥れたい三塁走者として文字どおり激突した。ファンもメディアもこのふたりが立大OB同士だとほとんど気がつかなかったのではないだろうか。
私は何度もこのエピソードには触れてきたが、この番組で岡村本人がいうまでふたりの出身大学について言及した記事を見たことがない。今の私なら早大出身の投手同士が先発で投げ合う、とか大阪桐蔭出身の投手と打者が対決している場面などは必ず気に留まる。
いうまでもないが、この「問題のシーン」での打者・長嶋茂雄も立大OBであり、3人のOBが一か所に収まった写真はなかなか立大野球部史でも貴重なもののはずである。私事だが、東大野球部100年史(2000年刊)で編集委員となり、プロに行った6人のOBに集まってもらい、座談会を企画した。初めて東大からプロ入りした新治伸治先輩はもう鬼籍に入っていたが、その他の5人の座談会は100年史に収録されている。
同じ時代でプレーしたのは新治(当時大洋)と井手峻・現東大監督(当時中日)のふたり。一度だけこのふたりがともに救援投手として投げ合ったことがある。が、このふたりが公式戦で一枚の写真に納まったものはみつからなかった。
早大や明大OB同士の対戦は全く珍しくはないけれども、3人同時となるとなかなかないはずである。
私には岡村の気持ちが理解できる。当事者はふたりとも鬼籍に入ったが、天国であの時のプレーを語り合っているかもしれない。
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著者プロフィール
篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授
1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。