【テニス】車いすテニス界の新星、小田凱人が目指すは絶対王者・国枝慎吾、そしてパリ五輪金メダル | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【テニス】車いすテニス界の新星、小田凱人が目指すは絶対王者・国枝慎吾、そしてパリ五輪金メダル

新着 ビジネス
【テニス】車いすテニス界の新星、小田凱人が目指すは絶対王者・国枝慎吾、そしてパリ五輪金メダル
  • 【テニス】車いすテニス界の新星、小田凱人が目指すは絶対王者・国枝慎吾、そしてパリ五輪金メダル

車いすテニス界に次世代のスターが誕生した。

2021年4月に史上最年少(14歳11か月18日)でITF車いすテニスジュニアランキング1位を獲得した小田凱人だ。

先日行われたBNPパリバ・ワールド・チーム・カップでは日本のエースとして活躍しチームを優勝へと導いた。今季はジュニア大会だけでなく一般大会(シニア)でも名だたる上位の選手たちを打ち破りツアー5勝を記録、東京五輪金メダリストの国枝慎吾がトップに立つITF車いすテニスランキングにおいて現在、世界13位に付けている(2021年10月25日現在)。

■多くのパラスポーツから車いすテニスを選択

5月で15歳となった小田は、ジュニアランキング1位獲得の喜びから既に次の目標に向け余念はない。目指すは世界トップ8で戦うグランドスラムへの出場と2022年10月に中国で行われるアジア・パラリンピックでの栄冠だ。この目標到達に向け今季終盤もポイント獲得を狙い各大会に出場を予定している。

そんな小田にインタビューを実施することが叶い、10月23日に千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)で開催された第2回WJPチャレンジテニスに参加した小田にこれまでの道のりと今後の展望を聞いた。

小田は9歳の時に左股関節に骨肉腫を患い、人工股関節の手術をした。闘病生活のなか、主治医の先生から陸上やバスケットなど様々なパラスポーツを紹介され、自身で動画サイトを調べていくうちに車いすテニスに興味を抱いたという。

「見て感じるもの、音から感じるもの……テニスには他のスポーツより惹かれるものが多くありました。先ずは競技用の車いすが格好良かった。観客がいる雰囲気もすごくいいなと思ったし、打つ時に吐き出す声や打球音、チェアワークの音に惹かれました」。

視覚と聴覚から素直に感じ取ったテニスの魅力は、退院後すぐに小田をテニスコートへと向かわせた。そこで実際に車いすテニスを体験するとプレーする難しさと同時にこれから夢中になれる楽しみを見つけたという。

「最初はラケットを持ちながら車いすを操作することが予想以上に難しかったですね。まずはチェアワークを教えてもらってからボールを打ったんですが、この2つを連動させることが最初の壁となりました。今でも試合中にこの連動作業に対して戸惑うこともあるし、常に課題はあります。でも、そこが車いすテニスの一番の魅力であると思いますし、初めてプレーした後も、またやりたいなと思えた部分でもありました」。

■目指すはオールラウンダー

10歳で車いすテニスを始め、半年が経った頃にジュニアクラスの大会に初出場した。12歳でITFのシニア大会に参戦するようになり、3大会目で初タイトルを獲得。2020年には名実共に18歳以下のジュニア世界一決定戦と呼ばれている世界ジュニアマスターズで史上最年少での単複優勝を果たし、一躍世界で注目を集めた。

そしてITF大会に参戦してから3年もかからず、翌年にはジュニア部門で世界1位にまで上り詰めた。この短期間での急成長の裏に隠されている秘訣は何か……そう訊ねると小田は、自分自身を日々更新できるかに着目してきたと応えた。

「常に毎回の練習でどれだけ追い込めるかを考えています。試合に勝つために一番重要なのは練習の内容です。これが試合に直結します。心掛けていることは毎練習で一番いいテニスをすること。それができれば必然的にレベルが上がってきます。勝ち続けるためには前回の練習で発揮した自分のレベルを越えなければいけないと常に危機感を持って取り組んでいて、これが一番の近道かなと思ってやってきました」。

小田にとってテニスは相手と戦う前に自分自身との戦いを制し、己を律することを念頭に置いている。この芯の強さを軸に、試合ではフレシキブルな考えで勝負の流れをコントロールする姿は彼の魅力のひとつだ。

「勝つためには極端なテニスをしているだけではいけないと思っています。守るだけ、攻めるだけでは世界のトップには勝てないなと自身の経験から感じました。どんな状況にでも対応できる柔軟な考え方が必要で、目指しているのは何でもできるオールラウンダーです。今はサービスとフォアハンドが僕の強みだと思っていますが、今後はすべてのショットを武器にできる力が必要になってくるだろうし、そうなれるように頑張りたいです」。

■食事面からのアプローチも重要視

既に大人顔負けの鋭いショットを使いこなし、ネットへと繋げる展開の速さが光る小田ではあるが、シニア大会においては相手ショットの力強さから、ジュニアと対戦している時と同じような展開は適わない時もある。その際は頑なに自身のテニスを貫こうとするのではなく、なるべくワンパターンにならぬよう高低差を使いペースを変え相手の隙を突くことで勝機を見つけてきた。

今季の小田の勝率は96%(10月25日時点)、シニア大会とジュニア大会を合わせて42勝2敗の結果を出している。試合の流れで優位に立った時こそ冷静さを失わず、勝負所でプレーのレベルを上げる術を試合を通しながら体得してきた。

「自分自身がリードしているときは相手の調子が少し落ちている時なので、どれだけ相手にダメージを負わせるかを考えています。自分が攻めてウィナーを取ることだけでなく、どうすれば相手にミスさせられるかを考えながらダメージを蓄積させることが必要不可欠になります」。

極限状態でこの冷静な判断を保つためにも、集中力の維持は体力面の強さと大きく関わる。そのことから普段の食事から摂取するものを選び、練習中や試合中にも補食を欠かさずに取り入れているという。

「まずはジュースやケーキ、お菓子などの甘いものは食べません。海外遠征になると、今はコロナのこともあり大会が提供してくれる食事になり、どうしても脂質が多くなることもありますが、そこはとにかくあるもので補っていくしかないですね。その代わり、試合前やプレー中にもユーグレナの「SPURT」を飲むことでリラックスしてプレーに集中できるようにしたり、プレー後はすぐにエネルギーになるバナナ、失ったエネルギーを補給できるようにたんぱく質と炭水化物を取るように心がけています」。

その時、その時の進化を大切にしているという小田だからこそ、ハイパフォーマンスを持続させるため食事面からのアプローチも重要視している。

■憧れの国枝慎吾選手への思い、そしてライバル心

インタビュー中、「テニスが大好きです」とあどけなく笑う少年らしさと、今の活躍を、ただの若手の勢いとは呼ばせないほどに自立した考えや自身のスタイルを確立している点はひどく印象的だ。テニスを始めまだ5年、既に勝負が生き物である怖さと楽しさを知っている魅力的な選手……私にはそう思えた。

傍から見れば、まだキャリアを歩み出したばかりのように思う15歳の少年がこれほど自身の成長スピードに危機感を持ってテニスに取り組む理由には、国内トップ選手であり世界1位の国枝慎吾の存在が深く関わっている。

国枝は小田にとってテニスを始めた時から憧れの選手だ。テニスに真摯に向かう姿勢や、勝利への渇望と飽くなき挑戦、そしてすべてに対してプロフェッショナルな言動は小田自身も参考にしてきたと語っている。しかしそんな国枝とも今はランキングも近く、同じ大会に出場することが増えてきたことから小田の中で変化が生まれてきた。

「テニスを始めた時から国枝さんを目標にしてやってきたので、僕の中で大きな存在です。国枝さんの凄いところは有言実行されるところで、リオが終わってからの5年間ずっと金メダルを取るとメディアに言い続けてきて実現されたので、流石だな! とまた刺激を受けました。でも今は憧れていると言っていると勝てないので……そういう甘えた言葉は止めて、1人の選手として見ていきたいなと思っています」。

時折、国枝と練習はするものの助言などは特にもらっていないという。「ライバルだと思っているのは僕の方だけです」と恥ずかしそうに笑いながらも、絶対王者との距離が縮まりつつあるのは確かだ。

また注目度の高さから国枝2世とも呼ばれていることについてどう感じるかも話してくれた。「国枝さんは凄い方なのでしょうがないですね。これからもそう呼ばれることが増えるでしょうし、比較されることもあると思います。でもそのことを気にしていてもしょうがないので。僕はオリジナルでしっかりと新しい道を作っていければいいと思っています」。

少し考え込みながらも最後は力強く話し、小田凱人は次の進化を求め自身の道を突き進む。小田は11月1日からアメリカで行われている車いすテニス選手の年間チャンピオン決定戦NEC WHEELCHAIR SINGLES MASTERS/ UNIQLO WHEELCHAIR DOUBLES MASTERSに史上最年少で出場中。さらに、この道の先に見据える大きな目標は2024年のパリ・パラリンピックの金メダルだ。

取材協力:(公財)吉田記念テニス研修センター

◆国枝慎吾、東京パラの「俺は最強だ」伝説をふり返る 物語はパリへと続く

◆国枝が2年連続8度目V 全米車いす、上地準優勝

◆上地結衣、世界女王に敗れての銀はパリ大会金メダルへの序章

著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動をはじめ後世への強化指導合宿で活躍中。国内でのプロツアーの大会運営にも力を注ぐ。

《SPREAD》
page top