【スポーツ回顧録】「横綱とは日本の魂」 白鵬が初場所で挑む、大相撲歴代最多優勝33回 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【スポーツ回顧録】「横綱とは日本の魂」 白鵬が初場所で挑む、大相撲歴代最多優勝33回

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【スポーツ回顧録】「横綱とは日本の魂」 白鵬が初場所で挑む、大相撲歴代最多優勝33回
  • 【スポーツ回顧録】「横綱とは日本の魂」 白鵬が初場所で挑む、大相撲歴代最多優勝33回

2015年大相撲初場所は1月11日、両国国技館でその幕を開ける。


遠藤、逸ノ城と言った若手力士の活躍や横綱・白鵬の充実した相撲ぶりに、昨年は「大相撲人気回復」の一年だった。その年が明けた初場所で、白鵬が「不滅の記録」、大鵬が打ち立てた最多優勝「32」の更新に挑む。


◆「世紀の快挙」白鵬が大鵬超え、歴代最多33度優勝 しかし、醒めたスポーツ紙


■相撲人気回復への船頭となった白鵬


思えば、四股名「白鵬」に「大鵬」から一字を受けた時点でその縁は決していたのかもしれない。現在の相撲人気回復への船頭となったのは、他ならぬ白鵬だ。


2011年、体罰・暴力事件はもとより、八百長事件が白日の下に晒され、相撲協会は2月6日の臨時理事会で、3月13日より開催される春場所の中止を決定した。八百長事件については白鵬の名も取り沙汰された為、自身も引退届を提出した経緯もあった(当該者ではないとの理由のため不受理)。さらにその年の3月11日、白鵬自身26回目の誕生日、未曽有の「東日本大震災」が襲う。


角界は東北の被災地を巡回。白鵬は「大地を鎮める」横綱の四股を披露。被災地の人々の顔が白鵬の目に映った。「横綱とは、日本の魂なのではないか。私は、日本の魂でなければならないのではないか」。白鵬は自問したという。


この場所まですでに18回の優勝を達成。特に前年は全勝優勝3回と充実の時を迎えていた。春場所中止以降、昨年まで全22場所中14度の優勝。若手が台頭する中、ひとりで相撲界を牽引した。「白鵬がいなかったら…」、そう考えただけで背筋が寒くなる角界関係者も多い。


角界の父」と慕ったその大鵬は2013年に他界。以来32度を目標に精進を積んだ。偉大な記録に肩を並べた九州場所での表彰式、涙で声を詰まらせながら「この国の魂と相撲の神様が認めてくれたから」の優勝だったと口にした。


翌日、「不滅の記録」に肩を並べた割には、スポーツ紙の扱いなどは小さかった。白鵬がモンゴル出身であるがゆえの扱いは、大横綱に対して無礼ではないのか……そう私の目には映った。昨年末拙稿で取り上げたように昨年の三大スポーツ・ニュースのひとつに数えることが出来た……と言うのにだ。


■高まる「不滅の記録」破りへの期待


大鵬が32度目の優勝を達成した時期と、現在の白鵬では充実度が異なる。大鵬最後の優勝は1971年初場所。その年5月に引退する二場所前、31歳を目前にしていた。最後の3年間で優勝は4度に終わっている。


一方の白鵬は、昨年6場所中5度の優勝を飾り、初優勝を果たした2006年以外に年3度以上の優勝を逃した年は、2012年のみ。大鵬に対する柏戸のようなライバル不在も記録に左右しただろう。しかし、角界では最多となる21場所「一人横綱」を張った朝青龍でさえ、2006年の初場所で8連覇を逃すと、不祥事を含めた出場停止問題などもあり引退まで最後の4年間で6度の優勝に留まり、通算25度の優勝で現役を終えた。


昭和の大横綱千代の富士は、大鵬の記録まで「あと1」としながらも、「体力の限界……」と涙の会見を行い引退した1991年に優勝はなく、35歳で土俵を後にした。


白鵬の28歳という若さ、心技体の充実を見るに、残り2年も盤石の相撲が取れれば、次の大台さえ不可能ではない。2015年1月、様々なスポーツが取り沙汰されるが、まずは大相撲の「不滅の記録」破りから目が離せない。前人未到の記録達成の暁には、全スポーツ紙の一面を期待したいもの。


日本人横綱の不在は、国技にとって寂しさは残る。しかし、モンゴル出身が何だ。日本には、白鵬がいるじゃないか。


Yahoo!ニュース個人 2015年1月5日掲載分に加筆・転載


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著者プロフィール


たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー


『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。


MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。


推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。


リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。


著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち

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