【プロ野球】記録員の仕事とは…… 荒井記録部長の追悼として | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【プロ野球】記録員の仕事とは…… 荒井記録部長の追悼として

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【プロ野球】記録員の仕事とは…… 荒井記録部長の追悼として
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■野球は記録のスポーツ、記録員抜きではプロ野球の歴史さえもない

◆野球の記録には特殊なケースも、その傍ら地元少年野球チームの指導にも尽力

五輪二大会連続金メダリスト柔道の斉藤仁が、元中日・阪神大豊泰昭が……日本スポーツ界の訃報が続いている。

そんな著名選手訃報の陰で20日、一般社団法人日本野球機構(NPB)の前記録部長荒井隆人氏の葬儀が取り仕切られた。荒井氏は2014年いっぱいまで記録部長を務め、プロ野球の公式記録を見つめて来た。

野球は記録のスポーツである。投手打者……その一挙手一投足を、書き止められたスコアブックから思い起こすことができる。そのひとつひとつの数字を公式の記録に仕立てるのが各試合に派遣されている記録員だ。

判りやすく表現すると、各球場のバックスクリーンに表示される「HEFs」、つまりヒットエラーフィルダーズチョイスのどれか……を判断するのが記録員であり、記録員が書き込むスコアカードがそのままプロ野球の全記録となる。記録員抜きではプロ野球の歴史さえもない。

記録員の仕事は過酷でさえある。オープン戦が始まれば全国津々浦々を渡り歩く。一軍だけではない。二軍戦もすべて網羅しなければならない。試合を観る……と言っても、ビールを飲みながら歓声を上げ観戦していれば良いわけではない。試合前のスターティングメンバーの確認を含め、ベンチ入りメンバーも記憶しておかなければならない。一旦「プレーボール」がかけられた後は、グラウンドで繰り広げられるプレーのひとつひとつ、すべてを記録する。7回に行われるグランド整備の時間がなければ、席を立つことも許されない。試合中、文字通りトイレも行けない状況となる。

■野球の記録には特殊なケースも

試合後は各番記者が、記録員が書き込んだスコアシートを待ち受けている。ニュースで報道される内容、翌朝の新聞に掲載される記録、ミスは許されない。

「野球の記録なんて打率や防御率を計算するぐらいなもんだろ。小学生じゃあるまいし簡単だよ……」とちょっと野球に馴染みがある方なら安易に考えがちだ。では、問題を出そう。試合は1対0、9回の裏二死満塁、カウントは3ボール2ストライク、勝っているのは先攻のチーム。ここで一点も与えられない。監督が勝負の采配に出る。ここでリリーフを投入。すると後攻側もピンチヒッターを送る。リリーフは初球で見事三振に切って取る。さて、この奪三振はリリーフ前の投手に付くか、それともリリーフした投手に付くのか。また、三振は下げられた打者に付くのか、それともピンチヒッターの打者に付くのか。

さて答えられるだろうか。

◆野球は記録のスポーツ、記録員抜きではプロ野球の歴史さえもない

では、もし三振ではなく四球で押し出しになった際、その自責点はどちらの投手に付くのだろう……。逆転サヨナラ負けを喫した場合の負け投手は……。

答えは……。

そんな時こそ記録員の出番である。こうした細かいイベント(出来事)のひとつひとつに即答する、そんな知識を山ほど蓄えているプロだ。そして、そのプロの記録員たちの上長が、記録部長である。

ひとシーズンの間にどれほど細かい、こうした判断を行わなければならないか想像がつかない。

こうした記録については球場だけではなく、東京の野球機構本部でもダブルチェックがされる。ジャッジに疑問が残るようであれば、ビデオで記録の再確認をすることさえある。誤解のないように付け加えておくが、審判の判定を判断するのではない。例えば、6-4-3のゲッツー、つまり遊撃手が打球を取り二塁手にトス、一走をアウトにし一塁手に送球、ダブルプレーが完成したかをチェックしたりする。そんな間違いなど起こりえない! とは言い切れない。いつも遊撃を守る選手が二塁を守ったり、試合中に選手が守備位置を入れ換えた際などミスは誘発される。そうした基礎的な点をしっかり記録してこそ、公式記録が綿々と残されていくのだ。

それほどの神経を使っても1シーズンのうちにいくかの記録ミスが起こる。シーズンが終わるとそのひとつひとつを検証し、誤りが発見されれば公式記録を訂正、各新聞社、スポーツ紙などの報道陣にもその通達をかける。その責任者が記録部長。その訂正内容を耳にするたびに、野球というスポーツのイレギュラーさを思い知る。

■地元少年野球チームの指導にも尽力

荒井氏は1955年北海道佐呂間町出身。大学卒業後、日本野球機構に入り2001年、パシフィック・リーグの記録部長に就任。2009年のセパ記録部の統一により2014年まで記録部長を務めた。退任前から地元の少年野球チームの指導にも熱心に取り組んでいたと聞く。

日頃、すべての試合が終わると、ハンチング帽をひょいと被り「お疲れ様―」と少々枯れた声で飄々と事務所を後に帰路に着く荒井氏が今も脳裏に残る。

まだ59歳。やはり、神に愛される人は早く召されるのか……。

冷え込んだ栃木県黒磯での通夜、荒井氏の指導を仰いだのであろう、ユニフォーム姿の野球少年が大勢詰めかけていた。帰路、細かい雪が舞っては消えて行った。心よりご冥福をお祈りしたい。

Yahoo!ニュース個人2015年1月21日掲載分より加筆・転載

著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

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