遅咲きの新星、苦労人キーガン・メッシングってどんな人? | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

遅咲きの新星、苦労人キーガン・メッシングってどんな人?

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遅咲きの新星、苦労人キーガン・メッシングってどんな人?
  • 遅咲きの新星、苦労人キーガン・メッシングってどんな人?

ロシアの皇帝エフゲニー・プルシェンコ選手やオリンピック2連覇&グランプリファイナル4連覇の羽生結弦選手。男子フィギュアスケート界においては様々なスケーターたちが「時代」をつくってきたが、今とあるカナダ人スケーターが日本で話題になろうとしている。

彼の名前はキーガン・メッシング選手。1992年生まれの27歳で、羽生選手よりも3歳年上の「遅咲き」のスケーターだ。2018年に初めて冬季オリンピックと世界選手権、グランプリファイナルへの出場を果たしたメッシング選手。

メッシング選手が日本で話題になろうとしているのはなぜか?今回はメッシング選手のこれまでの経歴と人物像に迫ってみる。

先祖は日本人初のカナダ移住者・永野万蔵

日本で話題になりかけている理由として、メッシング選手の高祖父が日本人初のカナダ移住者・永野万蔵氏であることが挙げられる。

永野氏は1855年生まれ。今から約140年前の1877年、 横浜から出向したイギリスの船に乗船し、カナダのブリティッシュ・コロンビア州に「密入国」した。

カナダではサケ漁を営み、日系製材工の親方をし、さらにはレストランやホテルを経営するなどして手腕を発揮。

巨万の富を得るに至るものの、晩年は結核に苦しんだ上に火災によって財産を失い、失意のうちに故郷の長崎に帰郷して70歳でその生涯を終えている。

「密入国」ではあったものの、永野氏は日本及びカナダの両国で「日本人のカナダ移住者第1号」と認められている。

1977年にはカナダで「移住100周年」が祝われ、彼にちなみ「マンゾウ・ナガノ山」と名付けられた山もあるほどだ。

3歳でフィギュアに出会うもなかなか結果につながらず

メッシング選手とフィギュアスケートとの出会いは3歳の頃のことだ。1994年のリレハンメルオリンピックにて銀メダルを獲得したカナダ人フィギュアスケーターのエルビス・ストイコ選手を見たことがきっかけだ。

2007-2008シーズンからジュニアグランプリシリーズに参戦。2010-2011シーズンには「ブラショフ杯」で金メダルを獲得している。

一方で、世界ジュニア選手権及びジュニアグランプリでの表彰台獲得の経験はなく、少なくともこの時点では世界に名を轟かせる有名なスケーターとは言い難かった。

シニア転向後もそれは同様であったが、2014-2015シーズンから所属をアメリカからカナダに変更。その後メッシング選手は少しずつ頭角を現すようになっていく。

飛躍の2017-2018シーズン

カナダへの所属変更から4シーズン後の2017-2018シーズン。メッシング選手はスケートカナダオータムクラシックにてハビエル・フェルナンデス選手と羽生結弦選手に続き銅メダルを獲得した。

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3rd at the autumn classic!!!

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さらにシーズン終盤の2018年1月に開催されたカナダ選手権では、カナダの英雄パトリック・チャン選手に次ぐ銀メダルを獲得。

そして翌年の2018-2019シーズンにはついにグランプリシリーズのカナダ大会で銀メダルを獲得。26歳にして自身初のグランプリシリーズ表彰台に到達している。

遅咲きの新星の今後は

フィギュアスケートは競技の過酷さゆえに、引退年齢が他の競技と比べて早いとされている。例えば、浅田真央さんと織田信成さんは26歳、小塚崇彦さんは27歳でそれぞれ現役を引退している。

そんな中、26歳にして初のグランプリシリーズ表彰台を果たしたメッシング選手。同世代のフェルナンデス選手は20歳でグランプリファイナル銅メダルを獲得していることからも、メッシング選手は「遅咲き」の新星といっても過言ではないだろう。

しかし、ロシアの皇帝ことプルシェンコ氏は幾度の怪我・手術を乗り越え34歳まで現役を続けた。

さらに2018年に日本では高橋大輔選手が32歳にしておよそ4年ぶりの現役復帰を果たし、全日本選手権で6年ぶりの表彰台となる銀メダルを獲得している。

プルシェンコ氏や高橋選手を見れば、引退が早いフィギュアスケートの世界だからといって、若い選手でないと活躍できないということはないのは明らかだ。

だからこそ、「遅咲き」であるメッシング選手の今後には注目していきたい。

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