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男子プロテニスツアー最終戦「ATPファイナルズ」。その年の最強のプロテニスプレイヤーを決める最終決戦が、11月10日〜17日にかけてイギリス・ロンドンで開催される。
「ATPファイナルズ」への出場資格が与えられるのは、男子プロテニスツアー年間順位上位8選手のみ。大会では、まず8選手を4人ずつの2グループに分けてそれぞれで総当たりの予選が行われ、上位2名ずつ計4名による決勝トーナメントが行われる。
中でも、世界ランキング2位のノバク・ジョコビッチ選手は今大会も優勝候補の一角。ロジャー・フェデラー選手に並ぶ史上最多6度目の優勝が期待されている。
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(c)Getty Images
今回は、32歳になったいまでも第一線で活躍し続けるジョコビッチ選手の人柄や経歴を紹介する。
最高の才能の持ち主
ノバク・ジョコビッチ選手は1987年5月22日に、旧ユーゴスラビアで、現在のセルビアの首都・ベオグラードで生まれる。
ベオグラードで育ったジョコビッチ選手は、4歳の時にテニスを始める。エレナ・ゲンチッチコーチは、若い頃のジョコビッチ選手の才能に気づいたという。
「これはモニカ・セレシュ(※)以来、私が見てきた中で最高の才能の持ち主だ」と語ったそうだ。
(※)旧ユーゴスラビア出身の元女子プロテニス選手。4大大会通算9勝という輝かしい成績を収め、国際テニス殿堂入りを果たした。
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(c)Getty Images
ゲンチッチコーチはその後6年間、ジョコビッチ選手にテニスを指導した。
12歳で空爆を経験
しかし、12歳の時、ジョコビッチ選手のキャリア構築に大きな壁がそびえ立った。
ユーゴスラビア紛争が勃発し、ベオグラードが爆撃にあったのだ。その期間、78日間。彼は爆音を聞きながら、暗い地下室で過ごすことを余儀なくされた。
12歳の子供にとっては恐ろしい出来事だが、戦争も彼からテニスを奪うことはできなかった。
ドイツで更なる飛躍
その後、ジョコビッチ選手はゲンチッチコーチの勧めから、競争の激しいドイツのテニスアカデミーへ行くことを決断。クロアチアの元テニス選手ニコラ・ピリッチさんが教える「ピリッチテニスアカデミー」で4年間トレーニングを積んだ。
2001年には14歳以下のヨーロッパチャンピオンシップに出場し、シングルスとダブルスのタイトルを獲得。ジュニアの国別対抗戦・ジュニアデビスカップにも出場した。
トップ選手に次々と勝利 大躍進の2007年
2007年、ジョコビッチ選手が大躍進を遂げる。マイアミ・マスターズという大規模な大会でマスターズ初優勝を飾り、世界ランクトップ10入りを果たした。
また、全仏オープンと全英オープン(ウィンブルドン)で準決勝進出、全米オープンでは準優勝に輝くなど飛躍の年となった。
さらに同年、ロジャーズカップにて、当時世界ランクトップ3の選手に次々と勝利。アンディ・ロディック選手(3位)、ラファエル・ナダル選手(2位)、ロジャー・フェデラー選手(1位)をそれぞれ準々決勝、準決勝、決勝で破り、優勝した。
この躍進により、ジョコビッチ選手は世界ランキング3位まで上昇。
2011年には43勝という驚異的な記録を収めたほか、全豪オープン、ウィンブルドン、そして全米オープンで世界王者に輝いた。
2018年には肘を手術 ランキングは一時22位まで後退するも見事復活
急成長により、一気に世界を代表する選手となったジョコビッチ選手。その後のキャリアでも結果を残し続け、四大大会を始め、様々な大会で優勝を重ねた。
しかし、そんなジョコビッチ選手が2018年の全豪オープンでは4回戦でまさかのストレート負け。その後、長い間悩まされてきた右肘の手術を行った。ランキングは一時22位にまで後退し、再び復活するのは難しいとの見方もあった。
しかし、ジョコビッチ選手はそんな声はもろともせず、見事復活を果たした。同年3月に復帰を果たすと、全仏オープンで8強入り、続くウィンブルドンと全米でグランドスラム連覇を果たすなど、異次元の活躍であっという間にトップに返り咲く。
心身共にエネルギーに満ちた彼のプレーはファンを魅了し続けている。
弟もプロテニスの道へ
ジョコビッチ選手の父・スルジャンさんは元プロスキー選手兼インストラクター。妻のディヤナさんと共に、セルビアの山間部でレストラン経営とスポーツ用品のビジネスを行っている。
弟のマルコさんとジョルジェさんもまた、プロテニスの道を歩んだ。
ジョルジェさんは彼らの幼少期を振り返り、「僕たちはカーペットの真ん中に障害物をおき、卓球をして遊んでたんだ。家の中を散らかして母には怒られたけど、父は“彼らに止めさせるな、これが彼らが本当にやりたいことなんだ”と言ったんだ」と語る。
ジョルジェさんはけがでやむを得ずテニスを辞めたが、代わりにビジネスを学んでいる。次男のマルコさんも元プロテニス選手だったが、今はテニスコーチとして子供たちにテニスを教えている。
2013年に結婚 現在は二児のパパ
ジョコビッチ選手は妻のエレナ・リスティッチさんに高校生の時に出会い、2013年に婚約した。
彼らは翌年の2014年、モンテネグロの教会で結婚式を挙げ、今では二人の子供に恵まれている。
今年の全豪オープンを優勝した際には、テレビの前でジョコビッチ選手の決勝戦を家族全員で応援している様子が妻・エレナさんのインスタグラムで投稿された。
大会後にはジョコビッチ選手が子供達と一緒に紙吹雪で優勝をお祝い。ファンからも祝福のコメントが多く寄せられた。
ユーモアに溢れる性格 3つの言語を操る
ジョコビッチは身長188㎝で、セルビア語とドイツ語と英語の3ヵ国語を話せる。
ユーモアのある性格で、よく、オフコートでダンスや他のテニスプレイヤーのモノマネをするらしい。また、瞑想の力を信じており、一日に一時間瞑想をする時間をとるそうだ。
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グルテンフリーの食事を推進
ジョコビッチ選手は、2010年ごろからグルテンフリー(小麦等の穀物類を取らない)の食事をはじめた。彼自身がグルテンアレルギーだったこともあり、この効果は絶大。体調も大幅に改善されたという。
また、2015年には「ジョコビッチの生まれ変わる食事」という本を出版。この本をきっかけに、世間でもグルテンフリーが話題となった。
チャリティー活動にも熱心 東日本大震災では義援金を募る
ジョコビッチ選手は自身の財団をもっており、セルビアの子供たちが健康的に教育を受けるための活動を行っている。
日本で東日本大震災が発生したときも、サッカーチャリティーイベントを開いて義援金を募った。
また、最近では自身の財団を通じて、31万4,000ドル(約3,400万円)で幼稚園を開設。150人の子供たちを迎え入れると言われている。
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(c)Getty Images
ATPファイナルズのジョコビッチ選手の初戦は、日本時間11月10日23時、イタリアのマッテオ・べレッティーニ選手との対戦を予定している。