満員電車で通勤した日々も…元サラリーマン選手、庭井祐輔がプロ転向するまで | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

満員電車で通勤した日々も…元サラリーマン選手、庭井祐輔がプロ転向するまで

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2019年はワールドカップイヤー、自国での開催ということもありラグビーへの関心は日々高まっている。そんな中、世界の舞台で活躍するイチオシ選手をご紹介したい。キヤノンイーグルスの庭井祐輔(にわい・ゆうすけ)選手だ。

学生時代から世代別の代表などで活躍した庭井選手。そんな庭井選手は、かつて満員電車で通勤するサラリーマン選手だった。

また、チームの選手プロフィールには「趣味:美味しいカフェラテを淹れること」とある。そんな不思議な魅力がある庭井選手に話を伺った。

将来の夢が掴みきれず…サラリーマン選手を選択

兵庫県出身の庭井選手は10歳からラグビーを始め、報徳学園高校ラグビー部に入部。高校時代は日本代表に選出された。立命館大学ラグビー部ではU-20代表として活躍し、さらには部の主将も務める。

順風満帆な選手経歴のように見えるが、本人は「将来の夢が掴みきれず、社員選手の道を選びました」と語る。

2年前までサラリーマン兼選手してました

キヤノンイーグルスのチーム拠点、キヤノンスポーツパーク(CSP) 撮影=戸嶋ルミ

ーキヤノンに入社されたきっかけは?

庭井選手(以下、敬称略):大学卒業時にラグビーのクラブチームを持つ複数の企業からオファーを頂いて、ありがたいお話なだけにとても迷ってしまって。ずっと迷っていましたが、最終的には直感でキヤノンに決めました。

ーいきなりプロになるのではなく、社業と兼任する社員選手になられたのですね。会社員時代はどんなことをしていましたか?

庭井:2014年に入社して、2017年に専業選手になるまでの間にふたつの部署に所属しました。社員時代は営業アシスタントとして仕事をしていました。所属部署内での課題解決にあたったり、総務のような役割も務めました。

試合との兼ね合いもありましたが、一日仕事の日があったり、半日仕事で半日練習の日があったり、一日練習という日もありました。

満員電車に揺られ片道1時間通勤の日々

庭井選手は身長174センチ、体重100キロ(※1)。

埼玉西武ライオンズの山川穂高選手(176センチ、108キロ)や、福岡ソフトバンクホークスのA・デスパイネ選手(175センチ、95キロ)と同じくらいだ(※2)。

(※1)2019年現在の公表値 (※2)引用元:日本野球機構ホームページ

ラグビー選手としては小柄な方ではあるが、一般人と並べば十分すぎる体格である。何より、分厚い胸板と丸太のような太腿は、日々の鍛錬の賜物だ。しかし、兼業選手時代は、そんな屈強な身体を縮こませて満員電車で通勤していたという。

庭井:当時は電車通勤で、住まいと職場が離れていたのもあって通勤は1時間くらいかかりました。本当に辛かったです(苦笑)

満員電車で、身体が大きいから邪魔だろうなと思って肩身が狭かったです。目の前で座席がひとつ空いても遠慮しちゃいました、体格的に……。

当たられるのは慣れてるんですけど、満員電車は別ですね。毎日、乗客の方に迷惑をかけないかと心配でした。

満員電車の話になると表情が曇る庭井選手 撮影=戸嶋ルミ

スーツが裂けるのは仕事が順調な証拠

庭井:通勤やチームでの移動ではスーツでしたが、既製品だと上半身が不恰好になってしまうので、少し値が張りましたがオーダーメイドのものを着ていました。

それもそのはず。見よ、この胸板の厚さ! 撮影=戸嶋ルミ

さらにはこの丸太のような立派な太腿、なんと66センチもあるとのこと。 撮影=戸嶋ルミ

庭井:キヤノン入社時の1年目にオーダーメイドのチームスーツを作ったんですが、3年目のある日、スーツのジャケットを着たまま屈んだら背中の真ん中がバリッて裂けました(笑)

あと、太腿が太いのでスラックスの内腿の部分が擦れてしまって、股の辺りに穴が空いたりなんて事もよくありました。ラグビー選手あるあるです。

でも、身体作りも大事な仕事なので。「スーツが裂けるのは仕事が順調な証拠」と思うようにしていました(笑)

撮影=戸嶋ルミ

社員から個人事業主へ…安定を捨てプロ転向した理由

サラリーマンと選手、二足のわらじで奮闘してきた庭井選手。入社3年目となる2017年に自社の看板商品の一つであるプリンター関連の部署へ異動となる。

しかし、同年よりサンウルブズのメンバーとして参加することになり、生活のほぼ全てをラグビーのために費やすことに。本人曰く「この1年はほとんど働けていなかった」とのこと。そして、ついに兼業選手からプロ転向することを決意したという。

ープロ選手に転向したきっかけは何だったのでしょうか?

庭井:2017年にサンウルブズに呼んでもらいました。オフ期間に兵庫の実家に帰って、母校の立命館大学でトレーニングをしていたんですが、現役の大学生選手たちから指導をしてほしいという話がありました。その時の経験がきっかけで、指導者としての道を考え始めるようになりました。

撮影=戸嶋ルミ

「今のラグビー」を伝えたい

庭井:自分自身今までたくさんの方からご指導を頂いてここまで来ました。ラグビーは本当に面白い競技で、実は毎年ルールが変わっていますし、それに伴って戦術も変化しています。今と昔ではスクラムの組み方一つとっても、ボールのパスの仕方も、結構な違いがあります。

昔のやり方がダメだというわけではなく、自分としてはこの「今のラグビー」にこだわっていきたいと思いました。そして、フルタイムで指導ができるプロコーチを目指したいなと。

自分は性格的に何事も中途半端はイヤなので、退路を断ち、プロ選手として生きることを決意しました。

雇用という安定と引き換えのプロ転向。いつどうなるかわからないプロスポーツ選手としての生活に不安がないわけではなかったが、休養など体のメンテナンスにより多くの時間を使えるようになったなどのメリットもあった。

奇しくもプロ転向の直後、試合中に負った怪我の治療とリハビリで1シーズンをまるまる費やすこととなるのだがーー。

《撮影・インタビュー:戸嶋ルミ》

※インタビュー後半はこちら

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